ツバメの雛を黙らせろ

 美しい物語性というのは誰もが手にできるものではない。誰もが美しい夢を見続けられるわけではない。夢から醒めてしまった大多数の人には、生活があるだけだ。地味で、泥臭く、時に血腥い。そんな暮らしがあるだけだ。

そんな暮らしは御免だ?

少し考えてみるといい。本当は、夢を見ていた間だって私たち大多数の凡人には最初から物語なんて用意されていなかった。美しい物語はいつだって後付けだ。退屈な毎日が過ぎ去ったあとに、後付けで美しい物語が与えられる、あなたもそんな生活をしてきたはずだ。

私はもうXX歳だが大人になるということがどういうことなのか未だにわからない。ただ、もしかすると後付けの物語を自分で付加できるのが大人でそれができないのが子どもなのかもしれないと思う。

誰だって心の中にツバメの雛を飼っている。雛は口を開いて、ピイピイ喚いて、親鳥が虫を運んでくるのを待っている。雛にコントロール権を奪われている人もいる。ちゃんと自ら親鳥の役目を果たして、心の中のツバメの雛を黙らせられるのが大人なんじゃないか。口を開いていれば与えられると思っていないで、自ら物語を紡げ。


的なね?

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