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わたしが考えているのはね、人は事実に傷つけられるのか主観に傷つけられるのかって話ですよ。わたしの父が殺人を犯したとしましょう。そして誰かがこう言うわけです。「おい、殺人犯の息子!」あるいは「おい、クソ野郎の息子!」。父が殺人犯というのは事実ですし、わたしはその息子です。じゃあクソ野郎というのはどうか。仮に今わたしの父がほんとうに殺人を犯したらわたしはおそらく彼のことをクソ野郎と思うでしょう。しかしですよ?殺人犯だからといってクソ野郎だとは限らないという考えを持つ人もごくわずかかもしれませんがいるはずですよ。過去の人間社会、未来の人間社会だとその割合が多かった/多い可能性もあるわけです。人類全体で「殺人犯は皆クソ野郎である」というコンセンサスがとれていない以上それは事実とは言えないでしょう。「殺人犯の息子」と呼ばれるのと「クソ野郎の息子」と呼ばれるの、どちらがわたしを傷つけるでしょうか。人びとのなかにはさらに妄想を働かせてわたし自身を「クソ野郎」と呼んだりするのかもしれません。なにが言いたいのか自分でもわからなくなってきましたよ。要するにですね、主観に振り回されるのをやめたいわけです。ほかのみんなにも主観に振り回されないでほしいんです。 でも人の話を常に事実と主観に分けて聞くのって難しそうじゃないですか。きっと疲れます。思考力が鈍ってるときには主観と事実を混同するかもしれない。だとすればこういうのはどうでしょう。客観的事実なら日本語で喋ってよし。少しでも主観が入るような言葉は英語によって紡がれなければならない。もちろん子どもにはそれは強要しませんよ。15歳くらいからにしましょうか。いいでしょう?みんな必死で英語を勉強しますよ。これでみんなが望むように、日本人の英語力も飛躍的に向上するんじゃないですか。主観を発信するとき、いったん立ち止まって思考が介在するようになる。中学レベルの英語ができない残念な頭の方には主観の発信をやめてもらいましょうか。 I think this is a good way to improve English skill and communication skill of Japanese people. skill に s をつけるべきかわかりませんね。あとof Japanese people じゃなくて for Ja...