追想五断章
追想五断章 米澤穂信
大学を休学し、伯父の古書店に居候する菅生芳光は、ある女性から、死んだ父親が書いた五つの「結末のない物語」を探して欲しい、という依頼を受ける。調査を進めるうちに、故人が20年以上前の未解決事件「アントワープの銃声」の容疑者だったことがわかり―。(Amazon、「商品の説明」より)
この本の紹介を書くとはいいながらなかなか筆…というよりはキーボードを叩く指が進まず、遅くなってしまった。先日読み返してみたので簡単にではあるがまとめてみたいと思う。
ひとつ感じるのは、誰しも背負っているものがあるということだ。芳光にも、芳光を居候させてくれている伯父の広一郎にも、物語の探索の依頼主である北里可南子にも、その亡き父である北里参吾にも。
当人の置かれている状況を知っていくにつれてその人の背負っているものが何かを想像することはできるが、相手は明確には口にしないし確信を得るには至らない。現実を描写するのに「彼は悲しい」「彼女は嬉しい」という文章はあり得ない。あっても「彼は悲しそう」「彼女は嬉しそう」だ。他者の感情を断定することはできない。
相手の感情を察して気遣ったり、優しくしたりすることはできるが、それは的外れですれ違うこともある。この物語は「参吾はなぜ物語を残したのか」「なぜ可南子は父の遺した物語を探すのか」が軸であるが、そういったすれ違いの物語でもある。
私たちは自分以外の人が何を感じているのか、何を考えているのかを想像することで人に優しくすることができるし、そういった気遣いが社会を成り立たせている部分もある。しかしながら、想像することがかえって失礼なことになる(「人の心情に土足で立ち入る」というような言い方もある…)場合もある。これらの境界は曖昧で地雷原を歩くようなものだったりもするのだが、そういった状況で自分はどうするか葛藤することができるのは一つの美徳だと私は思う。
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