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散財記録 202404-202407

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 最近、ガジェット欲はそれなりに満たせている。というより、散財することだけが人生の楽しみになりつつあるというのが実態だ。 ①Nothing Ear(a) これは完全に見た目で買うことを決めたものだ。黄色のポップな感じがたまらなくいい。音質も十分に満足度が高く、ベースエンハンスでの低音強調を使うと迫力がかなりある。 ノイズキャンセリングも、以前使っていたSoundcore Liberty 4 NC には流石に劣るが十分に効いてくれる。 約1.5万円とそれなりの値段で、購入直後は賢者モードのような状態にもなったが、為替レートも考えると納得できる。 ②SONY WH-1000XM5 SONYの最上級ワイヤレスヘッドホン。自分がこれを手にするなんて、一年前は思いもしなかった。私は「イヤホン(ヘッドホン)に数万もかけるのは馬鹿。1万くらいで十分のものが買えるだろ」という主義だった。 しかし、今はこれを買ったことについては後悔していない(単に自分の散在を正当化したいだけかもしれないが)。音の迫力・立体感が全然違う。ドルビーアトモスや360 REALITY AUDIOなどの立体オーディオの音源をこれで聴くと今までなかなか体感したことのない没入感がある。 これを買ったことによって、音楽鑑賞の楽しさが以前よりも一段上がった。最近は自分のなかで宇多田ヒカルリバイバルが起こっている。 ただ、これで得られる満足度を100とすると、1万円~1.5万円のイヤホン・ヘッドホンでも75~85くらいの満足度は得られると思うので、考えものだ。まともな感性のときの自分なら買っていない。労働に脳を焼かれているのが悪い。 ③Redmi Pad Pro Xiaomiのミドルスペックのタブレット。タブレットはスマホとPCの中間で『帯に短し襷に長し』だと思っているが、ガジェット欲が勝ってしまった。アームで固定して、寝そべりながら映像鑑賞するのに便利。あとは、後述するXiaomi 14 Ultraで撮影した写真をこれで見ると、より大画面で鑑賞できるのでそれもいいと思っている。 ④HHKB Professional JP 存在を知ってからずっと憧れていたキーボード。中古品。予算の都合上、有線接続専用タイプ。ただ、無線対応のものは電池ボックスが出っ張っているのがあまり好きじゃない気がするので、これはこれで正解だ...

暇は毒であり薬でもある

 2023年は全然ブログを書かなかった。 自分でも笑ってしまうくらい、全然書かなかった。2021年と2022年の投稿ペースはなんだったのだろう。 ブログを書かなかった理由を分析すると、その理由は ・ブログとして書くことがなかった ・ブログを書く暇がなかった という大きく2つになる。私の場合、両方当てはまるような気がするのだがどちらかというと前者の割合が大きいような気がする。今までのブログだって文字数としては数百文字程度のものがほとんどだったから、書くこと自体の時間は捻出しようと思えば全然捻出できただろう。 しかし、「書くことがなかった」を突き詰めると、これもまた「時間がなかったから」というところに行き着く。2023年3月までの私は大学院生という(今思えば)とても暇な人種だった。当時はもちろんそれなりにやることはあって、研究室にも週5で通っていて、なんでもやりたいことをやり放題というような生活ではなかったが、どうでもいいような事項についての思索に耽る時間は今と比べると随分多かった。 4月からは社会人となり、使える時間が減った。そして、精神的な余裕もなく、なかなか「よしなしごと」について考えることがなかった。毎日毎日、未知の出来事に対処していくのに必死だった。「だった」と言ったものの、今でもそんなに変わりない状況で、目の前のことに精一杯になっていることが多い。 もちろん、社会人の生活も悪いことばかりではない。「親の脛を齧り続けている」という負い目がなくなったのも自分にとってはいいことだし、会社の同期や先輩と出会って、学べることや楽しめることも多い。最近は残業もそれなりにするようになって残業代ももらえて、スーパーやコンビニでの買い物くらいならそこまでケチケチと金勘定することもなくなった。 でも、何か物足りない部分があるのも間違いない。大きく何かが欠落しているわけではないが、ちょっとした満たされなさがある。今は、その満たされなさを埋めてくれるのは、どうでもいいことについて深く考えてみる時間なのかもしれないという仮説を立てている。「セミの抜け殻はいつの間になくなっているのだろう」とか考えたり、スポーツ選手のインタビュー記事を読んであれこれ語ったり、世間で話題になっている出来事と自分の経験を絡めて論じたり。そんな時間が、今までの私の生活にちょっとした潤いを与えてくれてい...

2023年6月

6月が去った。2023年が早くも折り返したということだ。 時の流れは速い。 時の流れの速さを切実に感じることで、老いについて考えることも増えた。6月のある日などは、知人と食事に行った帰りに足首に激痛が走り、誇張でなく本当に足を引きずって帰った。地下鉄駅から地上に上がる際に階段を使う気にはなれず、エレベーターに乗ろうとしたのだが、歩く速度が遅く、先に乗り込んだ人を随分と待たせてしまったことが申し訳なかった。 このまま全身のガタガタを放置したままこの先の人生をうまくやっていけるのだろうかと考えた。答えは否だった。社会人になって椅子に座っている時間が長くなったことで、腰が今まで以上に痛み、背中や肩周りも今までにないくらい凝るように感じる。いわゆる整体、整骨院に通うことを決断した。 足首に激痛が走った日の翌朝、近所にある整体院、整骨院のなかでグーグルマップでの口コミ評価が高く、施術料も比較的リーズナブルなところに電話をかけて予約がとれるか尋ねた。幸い、その日の昼過ぎごろの枠を予約することができた。 予約の時間になり、その整骨院に赴いた。そこは個人が経営している施設ではなく、グループとして複数の院を運営しており、それぞれに5名前後の柔道整復師やが在籍しているようだった。この日私の担当をすることになったのは若い女性のスタッフだった。下世話な話であるが、このことは少しばかり嬉しかった。 まず軽い問診を受け、自分の気になっている部分やこれまでの治療歴などを話した。足首の痛みについても話したが、こちらに関しては慢性症状ではない捻挫ということで保険適用となるとのことだった。それから骨格、姿勢のチェックを受けた。根本的に体が硬いことも大きな問題なのだが、骨格にもやはり問題があると指摘された。 まず、立っているときに骨盤が過度に前傾していることが問題とのことだった。これにより重心のバランスが崩れるため、そこをバランスするために背中や首も曲がってしまうということを話された。また、座っている姿勢では立っているときとは逆に骨盤が後傾し、背中がかなり丸まってしまっているという指摘を受けた。この、立っているときは前傾しすぎており座っているときは後傾しすぎという状態により、長時間座っていたあとに立ち上がったりすると特に腰周りの負担が大きいだろうということだった。 それから骨格矯正を体験して、ある程度効...

体力がほしい

 社会人になってから2ヶ月が過ぎた。まだまだ研修中だとはいえ、ほんの少しは新たな生活に慣れてきた。私の場合、一番心配していたのは朝起きることができるかどうかだったが、最近は朝6時半ごろにはアラームなしで自然と目が覚めるようになった(一応、7時半に起きても全力で支度をすればギリギリ間に合うのだが)。また、二番目に心配していた通勤電車に関しても、今はまだ耐えることができている。そういう意味ではまずまずの滑り出しだったと言えるだろう。  一方で、体力のなさを感じるシーンは多く、不安がつきまとう。会社から家に帰ってきてそのまま寝てしまうことは週に1度くらいのペースであるし、土日はなかなか出かける気が起きず、二度寝昼寝のオンパレードだ。だるさを押し殺して歩き回った日の翌朝には足首や膝などの節々が痛む。腰に関しては、座っている時間の長さから常に痛い。  もっと体力が必要だと切実に思う。両親や世の中のすべての労働者に対して、これまでよりもより実感を持って畏敬の念を抱く。当たり前といえば当たり前のことなのかもしれないが、私の父は体調不良などを理由に仕事を休んだことが全く無かった(労災で入院していた時期などはあるが)。もちろん体の丈夫さが物を言う部分もあるのだろうが、家族を養うという使命感のもと、気力体力を振り絞って働いていたのではないかと思う。そういう漢に私もなりたいし、気持ちが負けそうになったときに「お前の親父はそう簡単に仕事を休んでいたか?」と問いかけて自分を奮い立たせたい。なんだかんだ言って、結局は自分の父親という身近な存在が人生の道標だ。

弱い奴が嫌いだ

 弱い奴が嫌いだ。憎んでさえいる。 自己憐憫も、オドオドして自信のないのも、ナヨナヨしているのも全部嫌いだ。 そしてこれは同時に同族嫌悪でもある。私もビビりで、ノミの心臓で、そしてそんな自分を憐れむことに酔っていたりもする。ひとことで言えば小物だ。 だからこそ、刹那的で享楽的な生き方ができる人が憧れだ。自分にはないものを持っている。必ずしも大物ではないのかもしれないが、少なくとも小物ではない。 私は弱い奴が嫌いだ。

気が狂いそう

 サラリーマンには向いてないのかもしれない かと言って他に何ができるでもない などと言っているが、割と働く意欲はある 今できることはとにかく身を削ることだ それ以外に取り柄はないのだから

2023年3月

 時間の経過が驚くほど速い。あっという間に新年度である。 この3月はとても暇だった。それというのも人生最後の春休みだったからだ。世間では卒業旅行に行く学生が多い。私も一応旅行に出かけた。とは言っても比較的近隣の温泉地への一泊旅行だ。旅行は手軽に済ませてしまったものだから、時間だけが残った。また一人でどこかへ旅に出ようかとも思ったが、腰が重かった。社会人生活へ向けての勉強にも手を付けてはいたが、あまり捗らず、今後アドバンテージとなるほどの意味はなかった。旅行とまでいかなくてももっと遊べばいいじゃないかとも思ったが、それもできなかった。 理由は簡単で、まず私には友だちがいないということ、そして、一人で遊んだりするのにも、私はもう自分のために金を使うということがなかなか虚しく感じられるようになってしまったこと、という2点だ。 一人で旅に出たり遊んだりしても虚しかっただろうということは予想がつくから後悔はないが、正直に言うと大学を離れるのは少し寂しい。 2017年の3月に高校を卒業して、もう6年もの月日が経った。私の場合、大学生活を振り返って、「楽しかった」という言葉が適当だとは思わない。正直に言って、苦しいことが多かった。学業面で掴みたかったものも掴めなかったし、学業以外の部分でも失敗してばかりで、自分に失望したこともある。暗中模索の日々だった。 それでも、いい学生生活だったとは思える。目標を掴めなくてもその途上で糧を得たし、人との繋がりも生まれた。今の立ち位置に来るには遠回りだったのかもしれないが、遠回りの道中も、得難い経験があった。最短経路ではなかったかもしれないが、悪くない所へたどり着くことはできたと思える。 そして、遠回りしたことがいつか大きく役立つことも十分に考えられる。物語の「伏線回収」のように、過去の何気ない出来事が結びついて現在未来の結果を大きく変えることだってあるはずだ。 これからも遠回りすることはあるだろう。というより、最短経路を辿れないことのほうが間違いなく多いと思う。常に最短経路を辿れるほど有能な人間はこの世にそう多くはいない。それでも、進んでいけば目標が見えると信じて、回り道したことすらも糧になると信じて、一歩一歩進んでいきたい。

感謝と決意と色々

  修論関連の諸々を済ませてしまって、いよいよ私のモラトリアム期間も最終章といったところだ。 高校を卒業してからの6年間で得たものや感じたことは様々だが、何よりも先に書き連ねておかなければならないのはやはり感謝だ。 このモラトリアム期間だけでなくそれ以前からもずっと生活を支えてくれた両親には、どれだけ言葉を尽くしても与えてくれたものに報いることはできないだろう。当たり前のことだが親はいつまでも居てくれるものではない。「いつか」などと言わずに可及的速やかに親孝行をしていきたい。 そして、ここに書くのを躊躇う気持ちもあるのだが、社会に対しても大きな恩があるということに触れないわけにはいかない。 まず第一に、無利子で日本学生支援機構奨学金を借りることができたこと。この学資金貸与事業はかつて貸与を受けた方の返還金が原資であり、そして公財政も投入されている。この事業では返還滞納などでネガティブな話題も多いが、自分の責任の範囲において借りた限りでは有用なものであったと思う(私は無利子だから言えるという部分もあるが有利子でも金利は抑えられている)。私はそこに恩義を感じているし、何らかの形で次世代へと還元していかなければならない。 第二に、授業料の免除を6年通して受けられたということ。私の大学は国立大学なので、私立大学の特待生制度のような成績に大きく左右される制度ではなく、おそらく家庭の困窮度が第一のフィルターになっておりその次以降で成績によるフィルターをかけ、認否が決まるという制度だ。そのおかげで特別傑出した成績というわけでもない私でも授業料を免除していただけた。もともと学部卒で就職するだろうと考えて大学に入学したのだが、この免除のおかげで大学院の博士前期課程まで進むことができた。 これらの恩に対して、私は報いる必要がある。親孝行ならぬ社会孝行だ。それに対する活動の度合いは何段階かに分けられるだろう。 レベル0…働く。奨学金の返還を遅滞なく行う。 レベル1…働く、それも一定以上のコミットを見せ、会社や世の中に貢献する。奨学金の返還を遅滞なく行う。 レベル2…レベル1と同程度に働く。奨学金の返還を遅滞なく行い、可能な範囲で、公益を目的として活動する団体などに寄付をする。 レベル3…それ以上 なんとかレベル1くらいには到達したい、しなければならないと思う。また、「寄付」を掲げ...

研究について思ったこと

 以前からも時々触れているが、筆者は修士課程の大学院生だった(身分としてはこの3月末までそうなのだが)。研究室配属後の3年間を俯瞰してみて、思ったことをつらつらと書いていきたい。 研究を頑張っていた過去の自分に何かを伝えるとしたら、「やってもやっても結果が出ないときは出ないものだし、逆にうまくいくときは前触れもなく突然うまくいく」ということを1番に伝えたい。 3年間の大半は一歩進めたかと思えばまた戻ったり、活路が見えたと思ってアクセルを踏み込んでみたが思った道ではなかったりと、そんな感じだった。実際、修士論文も査読付き雑誌に投稿した論文も、主要なデータは修士2年の秋以降にとれたデータで、それまでに行った実験も無駄ではなかったが成果物においては補助的なデータにしかならなかった。修士2年の夏までは本当にダメダメで、それなのに秋になって突然道が開けて、なんとか論文投稿・掲載にまでこぎつけることができたのだ。その時期に何かを変えたというわけでもなく、なぜかうまくいくようになったものだから本当に驚いた。うまくいっているときのメンタリティでいれたら就活ももうちょいいい感じだったんじゃないかと思った(これはただの負け惜しみ)。感覚的には不思議なものだが、人の話でも「研究ってのは割とそういうところがある」と聞くこともあるから本当にそういうものなのだと思う。既知の情報をもとにうまくいきそうな道を選ぶのだが、うまくいかなかったとしても「これではうまくいかない」という情報を得て再度取り組む、少なくとも私にとってはそういう作業だった。 また、いろいろな物事について言えることだが、「作業をやる順番」のセンスがあるといいと感じた。研究をやるうえで、実験・実験の下準備・文献を読む・資料作成など様々な作業がある。これらにいつ取り組むか、どういう順番で取り組むかによって効率が大きく変わってくる。 イメージとしては、公務員試験の数的推理の問題で駅伝の走順を決める問題に近い。「A, B, Cの三人が、たすきをつないで図のようなコースを走った。スタートからゴールに要する時間が最も短くなるようにたすきをつなぐ地点を決めたとき、要する時間はいくらか」という問題文があり、A, B, Cはそれぞれ平坦な道、上り坂、下り坂で走るスピードが様々だという設定の問題。 私の場合、一つのことに集中する傾向が比較的強...

変化を拒む…ことはできない

 3月も残り一ヶ月となった。ここ2週間ほどは、街を歩けばスーツやドレスを着た両親と歩く幼稚園児、袴姿の若い女性などを見かけることがあり卒業シーズン、別れの季節であることを感じさせられた。 私も4月から環境が変わる人間の一人で、それも学生から社会人へというおそらくは大きな変化となる。帰省とちょっとした旅行は3月上旬のうちに済ませており、それからはずっと、特にやることがなく苦痛だった。このことはまあ別の話としておいて、今月に入ってからずっと「4月からの自分はうまくやっていけるだろうか」という答えの出ないことを悶々と考えている。ひとことで言えば不安に押しつぶされそうなまま日々生きている。 思えば、小さいころから環境の変化が本当に苦手だった。小学校の低学年のころには、父の解雇後の再就職に伴って転校を経験した。ちょうど年度の切り替わりのタイミング、4月の始業式から転校となったが、そうなってしまったことが嫌で嫌で仕方がなくて、「こんなところに来たくなかった」と思いながら初日の午前中は机に突っ伏してずっとメソメソしていた。同級生が声を掛けてくれたから新しいクラスメイトとも打ち解け、楽しい学校生活を送ることができたが、あのまま自分の殻に閉じこもったままだったらどうしようもない日々になっていたと思う。 それからも中学校、高校、大学とステージが変わっていくごとに環境の変化に戸惑ってうまく適応できたりできなかったりした。結果はともかくとして、環境が変わる直前、つまりはこの3月という時期にはいつも自分は新しい場所でやっていけるだろうかということばかり考えていた。 しかしながら、冷静に考えてみれば結果的に多少の失敗はあれどなんとか今日まで辿り着いたわけで、それを踏まえるとこれまでのようにその場その場で努力をしていれば、そう悪い結果にはならないだろうとも思える。そもそも、今こうしてビクビクしていることそれ自体は未来に対してプラスの作用をもたらさない。 「飛び込んでみれば意外とやっていける」 今回もそう思えるようにその場その場で正しい努力をしていきたいと思う。私の未来に幸あれ。

省エネレポート23年2月

 今月の電気・ガスの請求額が確定しました。 電気の使用量は105kWhで前年比34%減でした。ガスの使用量は8㎥で前年比50%減でした。WEBで閲覧できる似た家庭との比較からも、また、周囲の話(「光熱費○○円だった~」など)からも、ある程度節電・省エネできているのではと思っています。 今回の請求分の使用期間は1月25日~2月21日となっており、一般的に1年の中でもっとも冷え込む時期と言えます。そういったなかで前年よりも30-50%ほど使用量を減らせたのはとてもよかったのかなと感じます。これから少しずつ暖かくなっていくかと思いますが、気を抜かずに引き続き対策を講じていこうと思います。

思うこと

  先日修士論文関連の諸々の事を終え、いよいよ私のモラトリアムもあと1ヶ月といったところだ。4月からは今までのような身軽な生き方はできず、これまでとは比べものにならないくらい、大人としての責任がのしかかってくるだろうと思う。 包み隠さず言えば4月からの生活がとても怖い。ここでコケてしまったら今までの人生全てが間違っていたのだと自分を責めてしまいそうだ(短絡的で飛躍しすぎだとわかっているがそれでも思ってしまうのだ)。コケてしまったことそれ自体も辛いだろうし、自分の生き方全体を否定される/否定してしまうことも辛い。 実のところ、なんならもうすでに劣等感を抱いてしまっている。私の就職先は同じ大学の人間のなかでは、言ってしまえばパッとしないほうだ。同じ研究室の同期の一人が大手製薬に就職するというのにも劣等感をくすぐられる。私の就職先も、このご時世にして(少なくとも書面上では)同年代比で平均よりは全然高い給与だし、このどうしようもない私を拾ってくれた恩義もあるから悪くは言えないし言うつもりはない。しかし、同期とのギャップ、自分が思い描いていた事とのギャップがつらい。 結局のところ逃げてばかりだったくせにプライドだけは高く、自分に期待していたのが悪い。「大したことのない自分」をしっかり受け入れて、大したことないなりに価値を生むべくもがいていくしかない。

個性ってなんだ

 「個性の尊重」みたいな高説を垂れる人間が昔から嫌いだった。その理由はうまく言語化できなかったが、「"個性"に縋るのはほかに取り柄がないからだろう」などと思っていた。 最近じわじわと認識しつつあるのは「個性の尊重」とか宣う人間の中には、おためごかしや表面的な綺麗事ではなく、そうすることが世の中のため人のためになると本気で思って言っている人間が少なくないということだ。 普通に生きてきたら個性になんか価値がないってわかるんじゃないか?価値があるのは行動や能力(そこに独創性や希少性があればなおよい)であり、独創的な行動をとる人物、希少性のある能力を持つ人物が個性的な人物である傾向はあるかもしれないが、個性それ自体に価値があるわけではないって気づくんじゃないのか? 「個性を大切に」なんて言っていられるのは、そいつが行動や能力の価値という物差しで測られてこなかった特権的な人間だからだ。 普通に生きてきたら自分の個性なんかに価値はないって知ってるから、価値を証明するために必死に行動を起こすし、必死に能力を身に着けようとするんだろうが。

「LISTEN 知性豊かで創造力がある人になれる」を読んだ

 先月上旬に体調を崩して療養していた際、かなり暇だったのでKindleでいくつか本を買って読んだ。そのうちの一冊がこれだ。この本の主張を私はおおおよそ次のように理解している(間違いもあるかもしれない)。 ==== この本はタイトルからもわかる通り「聴く」ことに主眼を置いている。"hear"ではなく"listen"、日本語では「聞く」と「聴く」の違いに近い。ただ単に耳に音や言葉が入ってくることを指す"hear"ではなく、注意深く耳を傾けることを指す"listen"だ。では、「聴く」ことはなぜ必要なのだろうか?どんなメリットがあるのだろうか? <「聴く」ことの良い点> 話を聴いてもらう側の視点からすると、聴いてもらうことで孤独感が軽くなることが利点だ。逆に言えば、話を聴いてもらえないことで人は強く孤独を感じる。そして孤独は健康を害するということを示唆する研究も多い。テクノロジーの進化により私たちはSNSで自らの考えなどを発信したり、タイムラインやネットニュースなどから膨大な量の主張や情報を得たりすることができる。その一方で人の話をじっくり聴いたり、よく話を聴いてもらったりする経験はそれに比べるとあまりないのではないだろうか(私にもそういう心当たりがあった)。仮に目の前に人が居て会話をしていても、SNSやYouTubeやNetflixが気になって相手の話の内容に集中できないという場面もあるかもしれない。 そういった世の中だからこそ、じっくり話を聴いて、相手に安心感を与えることができれば、信頼してもらえる。一種の差別化戦略のようにワークする。これが聴く側にとっての利点だろう。 そして両者にとって、「より多くの情報を得られる」というメリットがある。うまく話を聴くことができれば、相手が経験したことや感情を理解することができる。相手が何かに精通している人、専門性を有している人であれば知識や物事のコツなどを引き出すこともできるかもしれない。話す側も、そういった会話を重ねることでぼんやりと掴んではいたが意識していなかったこと、認識できていなかったことに気づくことができる。本文中の例では、「赤ちゃんの声が耳に障る」という母親との対話により「自分が小さかったころに、誰も何もしてくれなかったことを思...

省エネレポート 1月

電気の使用量は前年237kWhから108kWhへと54.4%減少しました。 ガスの使用量は前年15㎥から9㎥へと40%減少しました。 電力量料金は5,085円だったのが3,600円となりました。燃料費調整額が-424円から1,328円になっています。 ガスの従量料金は2,742円から2,306円になっています。 電気・ガスの合計料金は前年費で20%ほど減りました。 === 電気に関しては、昨年末から年始まで帰省で1週間ほど自宅を空けていたのでその間の使用量を抑えることができた一方で、体調を崩して自宅で療養していた期間の暖房費がかかったため、12月ほどには節電することができませんでした。今週は大寒波がやってきておりその間も痩せ我慢をしていましたが、足が冷えて夜眠れなかったり朝布団から出られなかったりと明白にQOLが下がっているので、今後これくらいの気温が続くうちは節電をあまり気にせずに夜と朝はエアコンを使おうと思います。 ガスに関しては浴槽に湯を張る頻度が格段に減ったのが大きいように思います。昨年よりも煮込み料理をするようになって調理でのガスの使用は増えていると思いますが、風呂・シャワーでの使用抑制がそれを上回ったのかもしれません。また、検証はできませんが、昨年の夏ごろからシャワーヘッドを節水タイプのものに変えたことも影響したのかもしれません。 私の住む地域では、例年の感じからすると2月の半ばから終わりごろになってようやく暖房を使わない日も出てくるという感じになると思います。まだまだ先は長いですが無理のない範囲で節電を頑張っていきましょう!

年末年始、帰省振り返り(など)

 1月ももう3分の2近く過ぎてしまいましたが、まず新年の挨拶を申し上げます。2023年もよろしくお願いします。 もっと早く1月最初の記事を出したかったのですが、新年早々体調を崩してしまい(おそらくコ……)タイミングがありませんでした。普段風邪をひくことも少なく熱が出ることもほとんどないため、39℃に迫る発熱を久しぶりに体験して、なかなかしんどかったです。熱は早い段階で下がりましたが、喉に痰が絡んだり咳がよく出たりしたのも面倒でした。今はほとんど全快という感じです。体調を崩していた期間の暖房費と食費がかさんだため、そっちのほうが恐ろしいです。 2023年の取り込みとしては、MLBの英語のニュースを翻訳して記事にしてみるというのを始めました。MLBの情報を知れるのに加え英語の学習にもなりそうで一石二鳥というわけです。とはいっても複雑な文になるとすぐにDeepLに頼ってしまうので自分の英語力のなさが悲しいです。これからなんとか継続していけるよう頑張っていきます。 この記事では残りの部分で、年末年始の帰省の振り返りをしたいと思います。 ==== 私が研究室に行かなければならないのは26日までだったため、12月27日という割と早い段階で実家に帰ることとしました。実家に帰ったところでやることはあまりないのですが、どうせ何もやることがないなら、光熱費や食費が節約できる実家で過ごすほうがいいと思ったわけです。 実家まではけっこう長い距離を移動します。出発地である名古屋は晴天で空気も乾燥していましたが、いくつか山を越えると空は曇っていき、車窓からの景色も次第に雪景色に変わっていきました。途中で移動手段を鉄道からバスに切り替えました。その日はなぜか腹の具合が悪く、喉奥で息が詰まるような苦しさもあって、バスに揺られている間はただただ不快でした。しばらくして目的のバス停まで到着しました。家まではまだ距離があるのでバス停までは母が迎えに来てくれていました。朝アパートを出て、実家に着くころにはもう太陽が沈んでいる程度には長旅でした。 実家につきました。実家の窓は断熱樹脂のサッシかつ複層ガラスなので自分のアパートと比べるとずいぶんと過ごしやすく感じました。住まいの断熱性というのを侮ってはいけないと改めて感じました。実家には柴犬がいますが私のことを家人として認識していないので全くかまってく...

省エネレポート12月

12月請求分の電気料金・ガス料金が確定しました。 まず電気の使用量から。11月24日から12月21日までの電気の使用量は53kWhでした。昨年の同じ時期では145kWhだったため、63.4%の減少となります。料金は2,829円で、昨年の3,876円に比べて約27%の減少となります。 つづいてガスの使用量。10月25日から11月22日までのガスの使用量は7㎥でした。昨年の同じ時期では10㎥だったため30%の減少となります。料金は2,386円で、約5%減少でした。 使用量の減少の割に料金は安くなっていないことで価格高騰を実感しますね。 電気に関しては、昨年はあまり電気代を気にせずにエアコンを使っていたのを見直したのが効果として出ているように思います。エアコンを使う際も、設定温度を17℃くらいの低めの設定にしているのでこの調子でいけば1月もそれなりに節電できそうな感じがしています。 ガスについては、浴槽に湯を張る回数が昨年よりも減った一方で煮込み料理をよくしていたので大幅な減少にはならなかったのかなと感じます。ただ、やはり風呂が好きなので月に1,2回スーパー銭湯に行きたくなります(現に昨日行きました)。こちらは約1,000円/回なのを考えると、家で日常的に湯船に入るのとどちらのほうが費用対効果があるのかは微妙なように思います。 国の節電プログラムでは実績に関わらずとりあえず参加するだけで2,000円相当のポイントがもらえるので、節電する気がない人ももらえるものはもらっておきましょう。 12月、1月、2月の電気の使用量を前年の同月と比較して3%以上減らすことができれば各月で1,000円相当のポイントが与えられます。つまり、参加登録のポイントと合算すると最大5,000円相当のポイントをもらうことができます。3%というのは決して難しい数字ではないのでやってみる価値はあると思います。12月中に参加登録することで12月分から適用になるので急いで登録しましょう。 電力会社によって登録方法などに違いがあると思いますので、まずは経済産業省が設けている節電プログラム用のサイトを見てみるのがよいと思います。 https://setsuden.go.jp/

パラサイト 半地下の家族 を今更見た

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 今更ながら「パラサイト 半地下の家族」を見た。2019年の映画で、いろいろな賞を獲っている有名な作品だ。全体としては、コメディっぽさとシリアスっぽさ、社会風刺っぽさと単純なアクション感・バイオレンス感が同居していて飽きるポイントがなく面白かった。 個人的には、寄生計画がトントン拍子で進み、寄生先のパク一家がキャンプに出かけたときに一家で酒盛りをするシーンが印象的だった。そのなかでも特に、ギウ(息子)がパク家の息女ダヘと将来結婚する夢を語るところ。 トントン拍子で事が運んで、最初にいた地点から比べると目標への道のりの90%くらいを歩いてきたつもりでも、傍から見ればスタート地点が遠すぎたせいで他の人、たとえばパク家の人たちのスタート地点よりもまだまだ遠い、というようなギウと視聴者の間の温度差が印象的だった。 ここから夢破れたことと、最後にギウが自身の立てた計画を「根本的な計画」と形容していることが対比関係になっているように思えた。

防寒と節電

燃料価格の高騰で電気料金が昨年と比べて大幅に上がっている。ガスや石炭の価格に左右されず発電できる原子力発電所の再稼働は、この冬における新たな動きはなさそうで、電気料金の抑制には繋がらなそうだ。 原発再稼働の是非はさておき、我々小市民としては今の状況にうまく適応していくしかあるまい。私もまた金がなく、湯水の如く電気を使うわけにもいかないからガスも含めて省エネルギーのための工夫をいろいろやっているところだ。 工夫その①-窓の断熱 一般的な住宅において、1番の熱の流出経路になるのは窓らしい。最近はいわゆる二重窓三重窓といった複層ガラス窓や断熱素材のサッシの窓が増えているらしいが、寒冷地でもない地域の古めのアパートである私の部屋の場合はそのようなものは使われていない。だから、窓の断熱が優先順位としては最上位となった。 「窓 断熱」などで検索すると一番に出てくるのは内側からシートを貼るというものだ。平面ガラスについては昨年から取り組んでいたのだが、今年は凹凸くもりガラスにも使えるシートを購入し(Amazonで90(cm)×180(cm) のものが約1,600円)、さらに効果を高めることとした。 また、見た目は悪くなるが、ガムテープを使ってカーテンを壁に密着させ、冷気を塞ぐようにもした。 工夫その②-休日は出かける 平日は日中研究室にいるので、朝の支度の数十分間と夜帰宅して寝るまでの数時間を耐えればいいのだが、休日部屋にいる時間が長くなると暖房を使いたくなったりもする。そのため、休日は外出するというのも一つの手だ。もともと行ってみたかったところがあればいい機会だと思って行けばいいし、そういう場所がないなら交通費も浮かせるために徒歩圏内の図書館や商業施設に逃げ込めばいい。 工夫その③-風呂を控える 風呂が好きだ。実家に住んでいたころは日頃から1回1時間くらい湯船に浸かっていた。そういうわけで一人暮らしを始めてからも特に冬の間はシャワーで済ませずに浴槽にお湯を張ることが多かったが、今年ばかりは控えることにした。 結果 まだ寒さが本格化していない11月請求分(10月下旬から11月下旬の利用)の値だが、効果を見てみたい。 まず、電気の使用量は2021年は92kWhだったのが、50kWhとなった。というわけで、使用量でみると電気の使用量はほぼ半減となっている。料金で見てみると、2021年...

「推し」文化批判論

 最近はもう至る所で聞く「推し」という言葉。先日はNHK のニュースで、北海道のとある保育園が「推し休暇」なる休暇制度を設けたことが紹介されていた( https://www3.nhk.or.jp/sapporo-news/20221014/7000051531.html )。そんな「推し」文化ではあるが、個人的にはどこか気持ち悪さも感じることがある。その理由を考えてみた。筆者の漠然としたイメージや偏見 (私怨) が大いに介在しているので悪しからず。 <そもそも推しとは> weblio辞書の「実用日本語表現辞典」には 人やモノを薦めること、最も評価したい・応援したい対象として挙げること、または、そうした評価の対象となる人やモノなどを意味する表現。 とある。 また、wikipediaなどでは「主にアイドルや俳優について用いられる」とある。ここでは後者寄りの意味として「薦めるたい、最も評価したい・応援したい対象となる芸能人やそれに準ずる人物、キャラクター」くらいを想定しておく。 <さまざまな観点から> ●「余裕ある人間の道楽だろ」という視点 推し活へののめり込みの度合いも人によって様々だと思うが、これはのめり込みの度合いが小さい人には当てはまらないだろう。 経済成長の停滞に関してはもはや論ずるまでもない我が国であるが、特に苦境に立たされているのは多額の社会保険料負担を強いられる現役世代であり、若者の所得や貯蓄の(平均ではなくより実態を掴みやすい)"中央値"のデータに関してはもう目も当てられないものだ。そんな中、グッズを買い漁ったりイベントに奔走している人間はどのような層なのか。そう考えると私は「所詮は余裕のある人間の道楽だろう」という目を向けてしまう。たとえるなら、身ぎれいな老人が「いかにも」な洋犬を散歩させている様を見ているような気持ち(わかりづらい)。 ●システムにハックされているという視点 とはいっても、推し活をしている人間全員が経済的に余裕のある人間とは到底思えない。生活を切り詰めながら資金を捻出しているような人もいるに違いない。そういう人にとっては「推し」という概念がある種浪費を正当化するためのものとなっているのではないだろうか。それを映しているのが「推しのため」だとか「推しに貢ぐ」とかいう言葉なのだろう。 しかし、こ...