愛と幻想のファシズム

 愛と幻想のファシズム 村上龍

---

激動する1990年、世界経済は恐慌へ突入。日本は未曽有の危機を迎えた。サバイバリスト鈴原冬二をカリスマとする政治結社「狩猟社」のもとには、日本を代表する学者、官僚、そしてテロリストが結集。人々は彼らをファシストと呼んだが…。これはかつてない規模で描かれた衝撃の政治経済小説である。(Amazon、「商品の説明」より)

---

上下巻で1,000ページを超える大作。

スポイルドベア、すなわち個体間の競争に敗れて人里などに現れたクマは射殺してもいいことになっているとし、それは人間にも適用されるべきというのがトウジの哲学だ。システムをぶっ壊し、死ぬべき者が死に生きるべき者だけが生きるという狩猟世界のルールに戻すというのがトウジの目的だ。

私の生まれた世界が狩猟社会だったら、私は物心がつくまで生きることができなかったろうと思う。だから、私はトウジの思想を全面的に支持することはできない。しかし、システムがなければ生きていけないのにシステムにタダ乗りしようとする人間に対して憎悪に近い感情はある。

要するに私たちは生きるということを知らない。戦わなくても生きていけるから、地を這いつくばらなくても生きていけるから、生きるということを知らない。グリズリー(ヒグマ?)は水を飲むためだけに何時間もかけて斜面を下りて沢に向かうという話が作中に出てきたが、私たちはそういうことを知らない。そんな私たちだから腐敗というものが起こる。

イデオロギーめいた話になってきたが、これ以上続けるのはやめておこう。とにかく、私はこの作品を挑発と受け取った。システムのなかでのうのうと生きていていいのか、気づいたときにはスポイルされているぞ、と。誇りを失わず生きていくためには野生動物の生き方も見習わなければならない。

コメント

このブログの人気の投稿

日常に目を向ける

ブログを書きたい

家にあるもので頑張って書き初めしてみた

2日連続でスーパーに行くのは精神衛生上好ましくない場合がある

散財記録 202404-202407

歴史と現在について

書き初め懐古・検討編

キャベツ生活