アニメーション映画 この世界の片隅に を見た
2月に見て、メモを残していたのだがうまくまとめられずに、長いこと放置してきたが、結局推敲もままならないまま放出する。
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アニメーション映画 この世界の片隅に を見た。
主に太平洋戦争の勃発から終結にかけての時期における人びとの営みを描いている。
苦しい時代だったと思う。単に戦争で身近な人が死んでしまったり、物資が不足していたりするというだけでなく、そのような暮らしのなかで人々は心の余裕も失いがちで、対人関係でも苦しい面は多かったろう。
主人公であるすずさんは広島に住んでいたが、呉の家へ嫁入りし、戸惑いや窮屈さを感じる。ただでさえ家長の権限が強く、結婚は家と家の結びつき、という時代に義実家での暮らしは肩身が狭い思いだったろう(とはいえ、舅も姑もなんだかんだですずさんの失敗を許したりしていた)。
印象的だったのは、米軍の空襲が来た時にすずさんが防空壕に逃げずに鷺を追って行き、間一髪のところで夫である周作に抱きかかえられて溝に逃げて「死ぬ気か!!」と一喝されるシーンだ。そしてそのときにすずさんは「広島に帰る」と打ち明け(なぜよりにもよってそんなタイミング…??)、そこでも周作は「聞こえんわい!!」「勝手にせえ!!」と一喝する。
強い叱責だが、それだけ周作はすずさんを守ることに対して使命感を持っていて、そして実際にすずさんを守ったのだ。
もしも自分が周作と同じ状況にあったら「死ぬ気か!!」と一喝できただろうかと思う。その後、「聞こえんわい!!」「勝手にせえ!!」と声を荒らげることはできただろうか。高校生くらいの私にはまだそのくらいの気性の荒さがあったのかもしれない。しかし、すっかり牙を抜かれてしまった。
他者を傷つけたり、他者に傷つけられたりすることを強く否定した結果が無関心と不干渉だ。自分らしさ――個性と言ってもいいだろう――を大切に、だとか、ありのままを受け入れようだとかいう言葉は優しくて、耳にすっと入ってきて、私たちを安心させてくれるかもしれない。ありのままで、自分らしく生きた結果幸福を掴めればそれは間違いなく素晴らしいことだが、そうなれる人がどれだけ居るだろうか。ほんの一握りにしか過ぎないと私は思う。ありのまま生きた結果幸福でないのと、ありのままではないが幸福になれるのなら後者のほうが良いに決まっている。だから、相手を傷つけてでも、相手の"自分らしさ"を損なってでも誰かを導くのが大人ではないかと、そう思った。
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今こうして見てみると結論ありきで綴っているような気がする。もともと私は個人主義的な考えの行き過ぎは好きではなく、その方向へはじめから引っ張られていたような感じだ。
ただ、あの映画を見て【大人の姿】が朧気ながら見えた気がするのは今でも変わらない。人は環境に影響される。時代が変われば人も変わる。あの時代に当たり前に存在していた"大人"が今では希少な存在になってしまったんじゃないかと思う。
与えられるのではなく与える。守られるのではなく守る。私がそんな存在になれるのはまだまだ先のように思える。年の頃は同じくらいだと思うが、周作の背中はまだまだ遠い。
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