犬はどこだ
犬はどこだ 米澤穂信
ネタバレ要素あり。「要素あり。」どころかガッツリネタバレ。
まあ、重めな話だった。
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主人公の紺屋長一郎は銀行員として働いていたが、体を壊して療養を経たのち社会復帰の一環として自営業、犬捜しを想定した調査事務所を開業した。
しかし最初に舞い込んだ依頼は「人捜し」であった。失踪人の名は佐久良桐子(サクラトウコ)。依頼人はその祖父。桐子は東京で働いていたが突然会社を辞め、一人暮らしをしていた部屋も引き払い、その後は連絡がつかなくなっていた。桐子の両親は彼女なりになにかあるのだろうと考えあまり大事とは捉えていないようだが、心配になった祖父が相談に訪れたというわけだ。失踪というと警察にでも相談したほうがよさそうなものだが、物語の舞台が小規模な地方都市であること、とりわけ祖父の暮らす地域はかなりの田舎であり、桐子の20代半ばという年齢を考えればたとえば結婚に差し支えるような変な噂がたってほしくない、大事(おおごと)にしたくないとのことである。
各方面への聞き込みなどから長一郎は、桐子はエマというハンドルネームを使ってブログを運営していた中堅ブロガーで、ブログ内BBSであるユーザーに粘着されていたこと、そしておそらくそのユーザーがブログの投稿などから桐子の会社や住所を突き止めブログ内BBSのみならず、実際にストーキングをしているだろうと考える。つまり、桐子が身を隠している理由はストーカーから逃れるためではないかということになる。問題は桐子が今どこにいるのか、ストーカーのトラブルは解決できそうなのか、という点なのだが……
結論から言えば、桐子はストーカーに自宅を突き止められ、強姦された(それを表沙汰にできないのは桐子には結婚まで考えていた恋人がいたから)。そして桐子はストーカーを殺害する計画を立てていた。彼女は単にストーカーから逃げていたのではなく手がかりを散りばめ、おびき寄せていた。長一郎が桐子の居場所に辿り着いたときには桐子は既に殺しを終えていたようだと推察され、長一郎は「見つけ出したのでお祖父さんによろしく」ということを言ってそそくさと退散する。
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この話は2004年の出来事ということになっており、「そのころからこういうインターネットでのトラブルはあったんだな~」というのが率直な感想。桐子はブログの投稿内容からストーカーに特定を許してしまうがそれはこのネット社会において皆が皆「そんなのは他人事だ」と切り捨てることができるわけではないだろう。この頽廃空虚について言えば、アクセスは桐子のそれへの何千分の一、何万分の一であるから(それに投稿する内容にもある程度気をつけている)まあ他人事といえば他人事になるのだろうか。
それはさておき、この本のテーマなるものについて考えてみよう。英題が「the citadel of the weak」= 弱者の砦であるように、作中のいたるところに「弱者」「負けること」「逃げること」のような話が見つけられる。長一郎は健康を害し、銀行員であることを辞めたことに関して少なからず「負けて故郷に戻ってきた」という意識を持っている。そして不本意ながらストーカー禍によって会社をやめて人知れず故郷に潜伏している失踪人に共感を憶える。桐子の居場所を突き止める手がかりにもなる古文書の解読では、長一郎の部下が郷土史研究家が著した資料を手に取る。その資料では、戦国時代のその地域は争いを繰り広げる二勢力の拠点のちょうど中間地点であり、農民たちは無法に土地を荒らされたり、略奪にあったりするなど運命に翻弄された人たちだったが、それでもなんとか自分たちの生活を守るために、したたかに生きていたのではないか、ということが語られる。
途中、「運命論」について少しではあるが触れられることも印象的だ。長一郎が社会人となって働き出した途端に、ひどいアトピー性皮膚炎を発症し、心身ともに疲弊しきって故郷に帰ってきたように、真正面からは到底太刀打ちできない、誇りや尊厳、ときには生存を脅かすような強大な敵、運命は確かに存在する。そうしたものに屈するのは決して珍しいことではないし、恥ずかしいことでもない。しかし、それを当たり前に受け入れていていいのか、やられっぱなしでいいのか、という問いかけがあるように思われる。
勝つ者がいれば負ける者もいる。やむを得ず逃げなければならない場面もある。それでも自分を守るための強かさを持っておけ、そういうメッセージがあるように思われる。桐子がただストーカーから逃げていたわけではないように。
というのはまあ大げさな話で、ひどいネットストーカー事件があった、それだけだ。
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