2023年6月

6月が去った。2023年が早くも折り返したということだ。 時の流れは速い。

時の流れの速さを切実に感じることで、老いについて考えることも増えた。6月のある日などは、知人と食事に行った帰りに足首に激痛が走り、誇張でなく本当に足を引きずって帰った。地下鉄駅から地上に上がる際に階段を使う気にはなれず、エレベーターに乗ろうとしたのだが、歩く速度が遅く、先に乗り込んだ人を随分と待たせてしまったことが申し訳なかった。

このまま全身のガタガタを放置したままこの先の人生をうまくやっていけるのだろうかと考えた。答えは否だった。社会人になって椅子に座っている時間が長くなったことで、腰が今まで以上に痛み、背中や肩周りも今までにないくらい凝るように感じる。いわゆる整体、整骨院に通うことを決断した。

足首に激痛が走った日の翌朝、近所にある整体院、整骨院のなかでグーグルマップでの口コミ評価が高く、施術料も比較的リーズナブルなところに電話をかけて予約がとれるか尋ねた。幸い、その日の昼過ぎごろの枠を予約することができた。

予約の時間になり、その整骨院に赴いた。そこは個人が経営している施設ではなく、グループとして複数の院を運営しており、それぞれに5名前後の柔道整復師やが在籍しているようだった。この日私の担当をすることになったのは若い女性のスタッフだった。下世話な話であるが、このことは少しばかり嬉しかった。

まず軽い問診を受け、自分の気になっている部分やこれまでの治療歴などを話した。足首の痛みについても話したが、こちらに関しては慢性症状ではない捻挫ということで保険適用となるとのことだった。それから骨格、姿勢のチェックを受けた。根本的に体が硬いことも大きな問題なのだが、骨格にもやはり問題があると指摘された。

まず、立っているときに骨盤が過度に前傾していることが問題とのことだった。これにより重心のバランスが崩れるため、そこをバランスするために背中や首も曲がってしまうということを話された。また、座っている姿勢では立っているときとは逆に骨盤が後傾し、背中がかなり丸まってしまっているという指摘を受けた。この、立っているときは前傾しすぎており座っているときは後傾しすぎという状態により、長時間座っていたあとに立ち上がったりすると特に腰周りの負担が大きいだろうということだった。

それから骨格矯正を体験して、ある程度効果を感じたこともあり、継続的にここに通うことを決めた。私は高校3年生のときの春に痛めて以来慢性的に腰痛を抱えており、はじめのうちは改善しようと通院などしていたがなかなか効果が見られず、(貧乏金なし、暇なしということもあって)ここ5年くらいは時々激痛を感じたりもしながらもほとんど放置状態だった。痛みを堪えながら無理に生活していたこともあり体が歪んでしまい膝や臀部もよく痛むようになっていた。

今まで痛みを抱えながらなんとかやってこれたんだから…ということも多少思ったが、根本的な部分から改善すべきだという考えに至った。長年の癖で染み着いた骨格・姿勢は簡単には改善するわけもなく、それなりの回数ここに通う必要があり、それにはもちろん費用もかかるがこれに関してはひとつの投資であると思った。金は惜しいが、目先の利益よりも長期的なリターンを考えるべきだ。腰痛を放置し続けた先にあるのは、最悪の場合働くことも困難になり生活の糧を得る方法を失うという未来だ。

そういうわけで16回分の施術回数券5万円弱を購入した。自分がこのレベルの金額を使うのはスマホかPCを買うときくらいだからかなりビビったが、やはりこれは投資だ。クレジットカードで支払ったが、2回払いにした。毎月のやりくりがカツカツというわけではないが、月々の引き落としはある程度一定の水準に留めておくのが精神衛生上好ましい。それに2回払いなら分割手数料もかからない。

7月8月は普段より多少財布の紐をキツくしつつ、状態改善に取り組んでいきたい。

私の健康状態についての話はここまでとして、社会の動きに目を向けると、6月はロシア・ウクライナ情勢に大きな動きが一つあった。ロシアの民間軍事組織で、ウクライナ戦争にも派遣されていたワグネルが反乱を起こし、首都モスクワへ向けて進軍したというものだ。言ってしまえばクーデターに近い(未遂に終わったのだが)。

「民間軍事組織が」「国に反旗を翻す」と言われるとそれはどんなものであるのかと興味を引くし、それが今のロシアで起こったともなると多くの人が関心を向けるのも無理はない。事実、インターネット上では「我々は歴史の大きな転換点を目にするかもしれない」というような言説が見られた。事実私も普段以上に各種報道を追った。

このことで改めて感じたのは(自分も含めてだが)、我々は自分以外に向けられた暴力はエンターテイメントとしていくらでも消費してしまえるということだ。ほかの人はどうかわからないが自分に関して言えば、今やウクライナ情勢についての情報収集は積極的には行っていない中で、今回のプリゴジンの乱の話題には嬉々として飛びついて、本当に浅ましいと我ながら思った。そしてここでそんな懺悔めいた文章を書くのも、「自分は倫理道徳について考えている人間です」というようなアピールにも思えてこれもまた浅ましいのだが。

ただ、一つ言えるのは、私が倫理観がどうとか正義のどうとか語ったところで世界は何一つ変わらないということだ。この世界も私の人生もそんな単純なものではないし、そのようなセカイ系的(用法あってる?)価値観を保持し続けるにはさすがに私はもう年をとりすぎた。

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