感謝と決意と色々
修論関連の諸々を済ませてしまって、いよいよ私のモラトリアム期間も最終章といったところだ。
高校を卒業してからの6年間で得たものや感じたことは様々だが、何よりも先に書き連ねておかなければならないのはやはり感謝だ。このモラトリアム期間だけでなくそれ以前からもずっと生活を支えてくれた両親には、どれだけ言葉を尽くしても与えてくれたものに報いることはできないだろう。当たり前のことだが親はいつまでも居てくれるものではない。「いつか」などと言わずに可及的速やかに親孝行をしていきたい。
そして、ここに書くのを躊躇う気持ちもあるのだが、社会に対しても大きな恩があるということに触れないわけにはいかない。
まず第一に、無利子で日本学生支援機構奨学金を借りることができたこと。この学資金貸与事業はかつて貸与を受けた方の返還金が原資であり、そして公財政も投入されている。この事業では返還滞納などでネガティブな話題も多いが、自分の責任の範囲において借りた限りでは有用なものであったと思う(私は無利子だから言えるという部分もあるが有利子でも金利は抑えられている)。私はそこに恩義を感じているし、何らかの形で次世代へと還元していかなければならない。
第二に、授業料の免除を6年通して受けられたということ。私の大学は国立大学なので、私立大学の特待生制度のような成績に大きく左右される制度ではなく、おそらく家庭の困窮度が第一のフィルターになっておりその次以降で成績によるフィルターをかけ、認否が決まるという制度だ。そのおかげで特別傑出した成績というわけでもない私でも授業料を免除していただけた。もともと学部卒で就職するだろうと考えて大学に入学したのだが、この免除のおかげで大学院の博士前期課程まで進むことができた。
これらの恩に対して、私は報いる必要がある。親孝行ならぬ社会孝行だ。それに対する活動の度合いは何段階かに分けられるだろう。
レベル0…働く。奨学金の返還を遅滞なく行う。
レベル1…働く、それも一定以上のコミットを見せ、会社や世の中に貢献する。奨学金の返還を遅滞なく行う。
レベル2…レベル1と同程度に働く。奨学金の返還を遅滞なく行い、可能な範囲で、公益を目的として活動する団体などに寄付をする。
レベル3…それ以上
なんとかレベル1くらいには到達したい、しなければならないと思う。また、「寄付」を掲げているが、自分で手を動かして何かできないかとも思う。
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2年前も書いているが大学進学に際して親元を離れて以降、自分の至らなさを感じるばかりの日々で、ずっと「大人にならなければならない」と自分に言い聞かせ、あるいは「そもそも大人ってなんだろう?」と自分に問い続けてきた。自分が大人になれている自信はないが、「大人とは?」という問いには暫定的な答えが見えてきた。「誰かのために"決断"する」ことが大人の条件ではないかと今は思っている。
現代社会では何かと「考えること」を良しとしている。教育の現場では私が中学生くらいのころからアクティブ・ラーニング導入について活発に議論されており、目的としては「主体的に考えさせる」「自ら意見を持つ」といったものが掲げられていた。大学入試の「センター試験」が「共通テスト」に変わったのも、「思考力を評価する」というのが背景の一つとしてある。
考えることは確かに生きていくうえで欠かせない能力だとは思う。また、哲学的な問いや、倫理的な問題についても考え続けることが発展に欠かせないのだろうとも思う。しかし、社会生活の実務レベルでは考えるだけに留まらず答えを出せなければならないのだ。
私が小学生のころに、「脳死は人の死」というセンセーショナルなフレーズが新聞の一面を飾ったことがあった。臓器提供の条件緩和を図った法改正のニュースだった。日本臓器移植ネットワークのページを要約すると、脳死とは脳全体の機能が失われた状態で、薬剤や機械の助けを借りて心臓を動かすことはできるが、回復することはないという。これを人の死とするかの考えは様々だろうし、現在も、これに準じた臓器提供に際しての条件については反対意見もあるようだ。この問題について哲学的・倫理的な意味での答えが出ることはないだろう。しかし、厳格なルールのもと臓器提供がなされ、トラブルも防ぐためにはどこかで線引きをしなければならない。この基準に賛成するか反対するかは自由だが、臓器移植法を成立させた人たちや改正をリードした人たちには大人としての決断力があったのではないかと今になって思う。
このことを集約すると「決断する」ことよりもむしろ「責任を負う」ことが本質なのかもしれない。いずれにせよ、何かを決定することや問題が起こってしまったときの対処において責任を負うというのは誰にでもできることではない(地位や階級に依存する権限という意味においても、精神的な負荷という意味においても)。そういうことができる大人に私はなりたいと思う。自分にそれだけの能力があるかはわからないが、せめて気概だけでも。
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