暇は毒であり薬でもある

 2023年は全然ブログを書かなかった。

自分でも笑ってしまうくらい、全然書かなかった。2021年と2022年の投稿ペースはなんだったのだろう。

ブログを書かなかった理由を分析すると、その理由は
・ブログとして書くことがなかった
・ブログを書く暇がなかった
という大きく2つになる。私の場合、両方当てはまるような気がするのだがどちらかというと前者の割合が大きいような気がする。今までのブログだって文字数としては数百文字程度のものがほとんどだったから、書くこと自体の時間は捻出しようと思えば全然捻出できただろう。

しかし、「書くことがなかった」を突き詰めると、これもまた「時間がなかったから」というところに行き着く。2023年3月までの私は大学院生という(今思えば)とても暇な人種だった。当時はもちろんそれなりにやることはあって、研究室にも週5で通っていて、なんでもやりたいことをやり放題というような生活ではなかったが、どうでもいいような事項についての思索に耽る時間は今と比べると随分多かった。

4月からは社会人となり、使える時間が減った。そして、精神的な余裕もなく、なかなか「よしなしごと」について考えることがなかった。毎日毎日、未知の出来事に対処していくのに必死だった。「だった」と言ったものの、今でもそんなに変わりない状況で、目の前のことに精一杯になっていることが多い。

もちろん、社会人の生活も悪いことばかりではない。「親の脛を齧り続けている」という負い目がなくなったのも自分にとってはいいことだし、会社の同期や先輩と出会って、学べることや楽しめることも多い。最近は残業もそれなりにするようになって残業代ももらえて、スーパーやコンビニでの買い物くらいならそこまでケチケチと金勘定することもなくなった。

でも、何か物足りない部分があるのも間違いない。大きく何かが欠落しているわけではないが、ちょっとした満たされなさがある。今は、その満たされなさを埋めてくれるのは、どうでもいいことについて深く考えてみる時間なのかもしれないという仮説を立てている。「セミの抜け殻はいつの間になくなっているのだろう」とか考えたり、スポーツ選手のインタビュー記事を読んであれこれ語ったり、世間で話題になっている出来事と自分の経験を絡めて論じたり。そんな時間が、今までの私の生活にちょっとした潤いを与えてくれていたような気がする。

「暇すぎてあれこれ考えることで精神を病む」という話がある。自分の経験と照らしても、それもまた真実であるような気がする。しかし、ほどよく暇で、ほどよくあれこれ考えるのならむしろいいことのように思う。「どんな薬も過剰摂取すれば毒になる」みたいな話で、物思いに耽るという行為にもそういう性質があるのだろう。

4月から社会人としては2年目になるが、プライベートにおける目標は「いろいろと物思いに耽る余裕を取り戻す」にしたい。色々考えた結果を、拙くもブログとしてアウトプットできたら、それもまたいいことだ。

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