おかねのこと

 最近のブログ記事の傾向から多少察せられる部分もあるが、金遣いが割と荒くなっていると感じる。だが、不思議と罪悪感は小さい。

引き伸ばしてきたモラトリアム期間も残り半年を切り、「今は今しかない(進次郎構文)」ということを強く感じているからかもしれない。40歳の人間にとっての20万円と20歳の人間にとっての20万円は全く価値が違う。30歳くらいまでは貯金0でもいいんじゃないかとすら思っている。

金銭消費における満足度を数式化できるとして、それは金額に比例し、消費時の年齢に反比例するものになると思う。将来的に所得が十分に上がる見込みがない場合、(将来の備えという観点を捨て去ってでも、)できるだけ若いうちに金銭を消費したほうが、人生通算で見たときの満足度は大きくなる可能性がある。

そうはいっても将来の備えが…と思うかもしれないが、備えるべき将来がそもそも存在するかもわからないわけで、とりあえず毎月毎年の収支がマイナスにならなければよくないか?「バビロンの大金持ち」にもそう書いてあった。不測の事態に備えたければ都道府県民共済にでも加入しておけばいい。私は母親からの圧力があり先日県民共済に入らされました。掛金が手頃な分、保障は民間保険に劣るかもしれないが守るべきものもないわけだからそんなもんでいい。

老後2,000万円問題とかも言われるが、人生100年とかいう時代に60や65で悠々自適な年金生活♪みたいな考えがそもそも甘っちょろいものだったと考えるほかない。そもそも私が中年や高齢と呼ばれるころに公的年金の制度が維持できているかも怪しいのに。私が生まれ育った地域では70そこらになっても米を作ったり畑をやったり魚を獲ったり杜氏をやったり食品工場のパートやったりと働いているのが普通だったから「定年後も働く」ということへの抵抗感とかもあまりない(80超えてくるとさすがにバリバリ働く人は減って自家消費用の農業漁業をやる、くらいの人が多かった)。痴呆にならず足腰がしっかりしてればなんとかなるだろうと思っている節はある。まあ、「足腰がしっかりしてれば、というのが一番難しいだろ!」という意見には大いに同意する。

ここまでいろいろ理屈を捏ねてきたが自分の散財を正当化しようという言い訳でしかない。毎月の収支がマイナスじゃなければ~とか言っているが、社会人になった自分がそれを実現できるかもわからない。もし私が月々の収支でマイナスを重ねているような人間になっていたら大いに笑ってほしい。とはいえ、ここまで書いてきた文章は部分的には的を射ている点もあると思う。

コメント

このブログの人気の投稿

日常に目を向ける

ブログを書きたい

家にあるもので頑張って書き初めしてみた

2日連続でスーパーに行くのは精神衛生上好ましくない場合がある

散財記録 202404-202407

歴史と現在について

書き初め懐古・検討編

キャベツ生活