マズローの嘘つき!!

 自分の行動原理は目的と結果でしかないとこの頃よくわかってきた。10代以降、何か言葉にできない動機によって突き動かされていたのは高校3年生までやってきた野球以外に思いつかない。野球はいい。熱く心を滾らせるなにかがある。もちろん勝負に勝つのは嬉しいしそれも動機の一部なのだろうがそれで全部を説明することはできない。勝っても負けても、ひとつひとつのプレーごとに高揚感があった。自分が試合に出ていなくても、胸が弾んだ。この、うまく言い表せない動機が、"根源的な動機"なのだと私は思う。

翻って、そのほかのことについてはどうなのだろうか。高校生のころは勉強をそれなりに頑張った。結果もそれなりに出た。では、その動機は?それは言ってしまえばいい大学に入るためだったろう。ではいい大学に入りたかったのはなぜだろうか。それはきっといい企業に就職するためだろう。ではいい企業に入りたかったのはなぜだろうか。それはきっと金が必要だったからだ。金はないよりはあったほうがいい。誰だってそう思うだろう。あとは虚栄心のようなものも消極的ではあるが動機のひとつだろう。

そのほか、映画をみたりアニメを見たりするのも嫌いではない。その目的はなんだろうかと考えてみると、時間を潰すためという身も蓋もない答えが出てくる。

あとは読書も好きだ。それも時間を潰すためと言うこともできるが、自分が文章をうまく書けるようになりたいというのもある気がする。文章をうまく書けると学業や仕事に多少役立つだろうし、それに承認欲求を満たされたいというのもある。このようにブログを持っている時点で、人並み以上の承認欲求が私にあることは明らかだろう。

このように、今の私が何か行動する動機はとても理屈っぽい。なぜこんなことを言い出したかというと、この理屈っぽさが、目的と結果しか頭にない生活が嫌になったからだった。彼女(she)に愛想を尽かされたのは、私には彼女の抱える問題を解決することしか頭にないからだった。彼女の感情なんてこれっぽっちも考えていなかった(らしい)。じゃあ、と考えてみる。そもそもなぜ私は彼女と付き合っていたのか。言葉に詰まる。理屈を捏ねられない。

ーーーではそれは"根源的な"動機によってなされていたのですか?

ーーーある意味では根源的ですが、ある意味では理屈ですよ。

マズローの欲求階層説は有名であるが、科学的に実証されているものではなく、むしろ否定の向きが強いらしい。現在はマズローの欲求ピラミッドを組み直したケンリックの欲求ピラミッドが好意的に受け容れられているようだ(https://note.com/mctinc/n/n2bfbe03e29b9)。マズローでは最も高次の欲求として自己実現の欲求というかっこいいものが掲げられていたが、ケンリックのピラミッドではそれがなくなっている。代わりに高次には子育て、配偶者維持、配偶者獲得が連なる。自己実現は集団内での地位向上による繁殖チャンスの拡大の一端として組み入れられているようだ。何を言いたいかというと私が彼女と付き合っていたのは、配偶者獲得~子育てというどのような人間でも持ちうる動機であるという点で根源的であり、このように体系的に、つらつらと言語化できるという点で理屈で説明できる(つまり冒頭で述べた私の解釈では根源的ではない)。

「置かれた場所で咲きなさい」という言葉が割と好きだ。コントロールが難しい要素を変えようとするのは大変だし疲れるという意味でも共感するし、「置かれる」という受動的な言い方をしているように、身を置く場を自分で選択する必要がないと暗に示している点が好きだ。理屈をこねくり回して動機を作って、身を置く場を選択してもいいが、"根源的な動機"でないとなにか卑怯なことをしている気がする。

仮に、高校に入学したときに強制的にサッカー部に入れられていたら私は強く反発しただろうと思う。しかし、入学したときにA組ではなくC組になったからといって心のなかに反発は生まれない。彼女と付き合ったのは、遺伝子に規定されている脳内物質のはたらきから生じる人間の本能に刷り込まれた行動で、だから部活を選ぶようなものというよりクラス分けのようなものだ。だから、そう思うと現状も、そこに至る経緯も納得ができるだろう。



いや、できない。そもそも何をこんな長文を書いているんだ。こんなことをするからメンタルがゴミになるんだろうが。



自己実現が最高次の欲求だというほうがおめでたくて素敵だよな。

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