"どうでもいい話だけど"

 「どうでもいい話だけど」

なにか話すときにこういう前置きをしてしまう癖がついたのは中学生のころ、仲間内でそれが定着したからだ。誰がいつごろ最初にそれをするようになったのかもなんとなく覚えている。

彼がどういう理由でそうするようになったのかはわからない。想像することしかできない。控えめで、気配りができる性格が自然にそうさせたのかもしれないし、なにか意図するものがあってやったのかもしれない。ただ、それが僕たちの間で広まったのはきっと、どうでもいい話をして場をしらけさせるのが怖かったからなんだろう。

今となってはどうでもいい話なんて相当に突飛なものでもなければ、大抵笑って受け入れられるように思う。友だちなのだから。田舎町の、一学年に一クラスしかない小さな学校で、僕たちは本当に長い間同じ時間を過ごしていたのだから。

それでも、当時は皆、胸の奥に「ちょっとした弾みで自分はたちまち集団から排斥されてしまう」という危機感のようなものを抱えていたのではないかと思う。思春期の人間関係にはそういった独特の空気感がある。実際、そのころの自分たちといえば、どうでもいいことに腹を立て、どうでもいいことに反発を覚え、どうでもいいことに泣いたり笑ったりしていた。

そうするうちに自然と「どうでもいい話は前置きなしにしてはいけない」と刷り込まれた。友だちなのに遠慮を覚えた。と僕は思う。今の僕たちが険悪な仲だというわけではない。帰省のシーズンになって、声をかける人間がいればそれなりに集まる。でも、中学生のころのあの記憶が嘘なんじゃないかと思えるくらいには疎遠だ。仲間のうちの一人となんとなくそういう話をしたこともあるが、「みんな忙しいだろうし」とか「みんなそれぞれ今いる場所の人間関係があるだろうし」とかそういう言葉が帰ってきた。僕も同じようなことを思っていた。

これは仕方のないことかもしれないし、後で振り返ったときにこれもまた"どうでもいい"ことになるのかもしれない。それでも、「僕たちのなかに一人や二人、もっと無遠慮なやつがいたらどうなっていただろうか」と思わずにはいられない。

コメント

このブログの人気の投稿

日常に目を向ける

ブログを書きたい

家にあるもので頑張って書き初めしてみた

2日連続でスーパーに行くのは精神衛生上好ましくない場合がある

散財記録 202404-202407

歴史と現在について

書き初め懐古・検討編

キャベツ生活