友だち0の大学生活 自己正当化編

友だち0の大学生活

疑う目

我々は日々の生活に忙殺されて、ものごとを疑うということを忘れてしまうということが多々ある。

人工甘味料は体に悪いとか、マイナスイオン搭載のドライヤーを使うことで髪のパサつきを抑えられるなどといった科学めいた事柄から、年長者を敬うべきだなどといった社会通念のようなものまで、我々はいろいろなことを疑うことなく受け入れている。

もちろん、疑うことなく受け入れられているのはそれを言う人が権威のある人物であったり、その内容と同じようなことを多くの人が自身の経験から感じていたりするからだろう。だから、そういったもののなかには実際に正しいことも多いと筆者も感じるし否定したいわけではない。

しかし、ものごとを疑うことから得られる発見も多い。科学史を振り返れば、今の学問体系を形成している主要で古典的な理論は、それまでの常識を塗り替える形で生まれ、そこに至ったのはそれまでの常識を疑っていたからにほかならない。

そういったわけで、筆者につきまとう世間の常識を疑ってみよう。

"友だち"がいないのは悪いことか

前置きで偉そうなことを語ったが、これから述べることは主題の通り自己正当化に過ぎない。その点について、大いに偏見を持って読んでいただいて結構である。

「友だちがいないのは悪いことか」
こういう議論になると必ず友だちの定義がどうこうといった話に陥ってしまうが面倒なのでここはルーズにいきたい。
当人らが友だちと思っていれば友だちである。

まず、なぜ「友だちがいないのは悪いこと」といった風潮が存在しているのかを考える必要がある。

これを言い換えれば「友だちがいるのは悪いことではない」ということになる。言い換えれば理由は簡単に見えるもので、「友だちがいることで利益を享受できるから」であり、その具体は筆者が推察するに「頭を下げなきゃやってもらえないことを"友だちであるから"やってもらえる」「お金を払わなければやってもらえないことを"友だちであるから"やってもらえる」といったものであろう。

ここまで考えると見えてくるものがある。友だちがいることで得られる利益が弱者にとっての利益であるということである。

高い能力のあるものなら何かを成し遂げるのに人に頭を下げたり自らの懐を傷める必要はない。
能力がなくても有り余るほどの金があれば金を払ってなにかをやってもらうことも大した不利益ではない。

といったわけで「友だちがいないのは悪いこと」という風潮は能力も経済力もない弱者がそれを補っていく必要を感じているために存在している。

と結論づけてしまえば、ある程度論理の筋は通っているし、ちょっとした優越感にも浸れる。

しかし残念ながら筆者も「能力も経済力もない弱者」のうちの一人でありこれでは自己を正当化するどころか貶めてしまうことになる。
別の角度からの考察が必要だ。

攻撃性

人が「友だちがいないことは悪いことだ」というような内容のことを口にするのはどういったときだろうか。

それは友だちがいる人間が友だちがいない人間を目にしたときだ。ではなぜ?

その目的は「異物の排斥」だ。人間はポリス的動物だから群れる。しかし人間のなかにもイレギュラーがいる。群れなくていい人間がいる。

異物の排斥は人類史に多数見られる事象であり、ポリス的人間はそうではないイレギュラーを何かしらの形で排斥しようとする。
その攻撃性の顕れが「友だちがいないことは悪いことである」という風潮ではないだろうか。

その点筆者のような理性的で攻撃性の低い精神の貴族は「友だちがいないことは悪いことである」だなんて全く思わない。

筆者には諸事情により友だちがいないが、友だちがいる人間にも精神の貴族がいることはわかっている。なぜなら、精神の貴族だから。

向上心

精神の貴族であるという自負を持ち、改めてこれまで綴ってきた内容を見返してみると「能力も経済力もない弱者が~」という考えも少し手を加えるとさらに自己を正当化できるということに気づく。

「友だちがいることで何らかの利益を享受できる」とあったがこれは事実に違いない。しかし精神の貴族たる筆者は自らのだらしなさを知っている。利益を享受できる友だちがいては頼りきってしまって自分が腐る。

どこかの吸血鬼ボーイじゃないが、友だちがいると人間強度が下がる。

したがって、精神の貴族であり「友だちがいないのは悪いこと」なんて強迫観念を持っておらず、そして能力も経済力もないが自分を腐らせるまいという高い向上心をもつ筆者には友だちがいない。

最後に

ここまで自己を正当化するのに見苦しい姿を見せてきたが最後に真面目な話を。

荒野なくして啓示なし

この際友だちがいるとかいないとかどうでもいい(なぜなら、精神の貴族なので)。

ただ、とにかく他者との交わりを強制されるこの社会のなかで孤独でいる時間を持てることは一つのストロングポイントだ。

世界の主要な宗教で人々を導いた者、モーセ、イエス、ブッダ、ムハンマド____彼らは一人で荒野をさすらい、その中で啓示を得るのである。

芸術家だってそうだ。孤独の中からインスピレーションが生まれるという話も多い。

(参考:スーザン・ケイン 「内向的な人が秘めている力」)

とにかく、孤独を悲観する人間にはなってはいけない。そして、友だちがいない自分を正当化しようとするあまり、友だちがいる人間に対して攻撃的になりかけたが、友だちがいることが悪いともいってないから友だちどんどん作ってね!!

以上、自己正当化編でした。

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