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7月, 2021の投稿を表示しています

無.txt

 嫌なニュース、そしてそれに対する嫌な反応などが目に入ってしまう(自らわざわざ見に行っているという面も否定はできない)。私にとっては新型コロナウイルス感染症による社会の変化と東京オリンピックによってヒトのもつ獣性が浮き彫りになった感じがする。これらの出来事によって獣性が高まったというよりは、私が社会や世間と呼ばれるものに対してこれまで好意的なーー自分に厳しい言い方をするのならば、深みがなく軽薄なーー見方を持っていたというのが妥当だろう。自分をできた人間であるとは評さないが、倫理や道徳といったものに関心を持ち、自分の行動を俯瞰して見るように努めてはいたつもりだ。そして愚かにも、世の多くの人が同じような姿勢を持って規範ある社会をつくっているのだと信じ込んでいた。実際には、私が思っていた以上に人は獣性を剥き出しにして生きているようである。意識してか無意識にか、人は私の何倍何十倍も狡猾に生きている。このまま規範を大事に生きていても私は彼らに搾り取られ続け、気づいたときには何も残らなくなっているのだろう。そういうことなら。私も今まで信じていたルールを打ち捨てて、そちらと同じルールでやらせてもらう。大きく出遅れたぶん、同じルールで戦っても打ち勝っていくのは難しいのかもしれない。しかし、それでも、最後まで今の戦いを続け、骨の髄まで搾られることを想像すると、そこにも耐えていかなければならないと思う。もっともらしく飼い馴らされてきたが、噛み付いてやりたい。

 わたしが考えているのはね、人は事実に傷つけられるのか主観に傷つけられるのかって話ですよ。わたしの父が殺人を犯したとしましょう。そして誰かがこう言うわけです。「おい、殺人犯の息子!」あるいは「おい、クソ野郎の息子!」。父が殺人犯というのは事実ですし、わたしはその息子です。じゃあクソ野郎というのはどうか。仮に今わたしの父がほんとうに殺人を犯したらわたしはおそらく彼のことをクソ野郎と思うでしょう。しかしですよ?殺人犯だからといってクソ野郎だとは限らないという考えを持つ人もごくわずかかもしれませんがいるはずですよ。過去の人間社会、未来の人間社会だとその割合が多かった/多い可能性もあるわけです。人類全体で「殺人犯は皆クソ野郎である」というコンセンサスがとれていない以上それは事実とは言えないでしょう。「殺人犯の息子」と呼ばれるのと「クソ野郎の息子」と呼ばれるの、どちらがわたしを傷つけるでしょうか。人びとのなかにはさらに妄想を働かせてわたし自身を「クソ野郎」と呼んだりするのかもしれません。なにが言いたいのか自分でもわからなくなってきましたよ。要するにですね、主観に振り回されるのをやめたいわけです。ほかのみんなにも主観に振り回されないでほしいんです。 でも人の話を常に事実と主観に分けて聞くのって難しそうじゃないですか。きっと疲れます。思考力が鈍ってるときには主観と事実を混同するかもしれない。だとすればこういうのはどうでしょう。客観的事実なら日本語で喋ってよし。少しでも主観が入るような言葉は英語によって紡がれなければならない。もちろん子どもにはそれは強要しませんよ。15歳くらいからにしましょうか。いいでしょう?みんな必死で英語を勉強しますよ。これでみんなが望むように、日本人の英語力も飛躍的に向上するんじゃないですか。主観を発信するとき、いったん立ち止まって思考が介在するようになる。中学レベルの英語ができない残念な頭の方には主観の発信をやめてもらいましょうか。 I think this is a good way to improve English skill and communication skill of Japanese people.  skill に s をつけるべきかわかりませんね。あとof Japanese people じゃなくて for Ja...

糖尿病に気をつけねばならない

 リアルゴールドを一缶買うだけで、 Coke ON のスタンプが3つも貯まるなんて夢のような話だ。つまり、キャンペーンなどをまったく意識せずにCoke ON を利用していると15本の飲み物を買ってようやく1本無料クーポンがもらえるところを、飲料の種類はリアルゴールドに限定されてしまうものの、今に限って言えば5本買って1本無料クーポンを手に入れることができる。小学館万歳!!平和の祭典万歳!! 私はといえば、大した理由は見当たらないが、一昨日かその前日あたりから夜の消灯後なかなか寝付けずにいる。おかげで昨日はブラックコーヒーの260(?)ml缶を2缶買い、そのうえでモンスターエナジーM3(160ml缶で、カフェインやアルギニンなどといった成分が濃いものだ)に初めて手を出した。エナジードリンクはときどき買う程度の自分としては、これだけの分量にカフェインが150mg入っているものはおそらく初めてのことだ。今までなんとなく忌避していたのだが、味としては大きい缶のものと大差なかった。そして今日も買った。 ところで私はフリーシュガーの摂取量をそれなりに意識している。WHOの推奨するところではフリーシュガーで摂取するエネルギーは一日の総摂取エネルギーの5%未満に抑えるべきとのことであり、これは砂糖およそ25gに相当する。モンスターエナジーM3の成分表示を見る限りでは1本あたり糖質は17gのようだ。定番の355ml缶では糖質は1本あたり40g以上(公式サイトで成分を確認することができなかったため第三者サイトの情報であることをお詫びする)だというから、糖分は摂りたくないがカフェインが摂りたい人にはM3は良いのだろう。ほかに清涼飲料水を飲んだりしなければ今日のフリーシュガー摂取量も25g以内にはなるだろう、上出来だ。 いや待てよ・・・・・・??? 今朝、朝のダルさとスタンプ欲に負けて自販機でリアルゴールドを買っていたよな??? そしてコカ・コーラのサイトでリアルゴールドの成分を確認する。100mlあたり糖質14g、内容量190ml・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 糖尿病にならないように気をつけようと思った。 それ以前に、今日はちゃんと寝付いて...

長いお別れ

 レイモンド・チャンドラー。 清水俊二訳。 そろそろハードボイルドに磨きをかけようと古典的なハードボイルド小説に手を出した。そして自分はハードボイルドにはなり得ないと悟った。 まず登場人物の名前を憶えられない。海外文学を読むときにありがちなことだが、カタカナで記され、音としてもあまり馴染みのない名前にはなかなか慣れない。まあ国内作家の作品でも登場人物の名前が日本風でない(こういう先入観というか固定観念が入った言い方にケチがつく時代ではありますが。)ときはそれがすんなり入ってこない。こんなやつがハードボイルドになれるわけがないのだ。 ストーリーについてはあまり言及する点がない。読んでいて「ああ、確かに昔の探偵小説だな」と思ったくらいだ。ただ、ストーリーと"Long Good Bye"というタイトルとが頭の中で符号したとき、妙なスッキリ感というかそういった類の味わいがあった。 あとこれは訳の問題なのだが、たまにおそらく助詞が抜けているであろう文があって不満だった。こんな些細なことに不満を抱くやつがハードボイルドになれるわけがないのだ。

少年の日の思い出

 古い家に住んでいた。私が小学生の当時すでに築90年近かったと聞いている。母屋と離れがあって、母屋がもともとL字の形をしていた。そこに短い廊下で離れをつなげたものだから、全体としてはコの字に近い形をしていた。コの字の内側は庭になっていた。コの字の家を設計するとき、誰だってそうするものだ。"コ"の辺がない部分は生け垣になっていた。つまり、家と生け垣に囲まれた庭があった。 庭にはザクロの木があった。椿があった。躑躅があった。松があった。サルスベリがあった。かつて池だったらしい窪みがあった(大雨が降って水がたまると確かにそこはかつて池であったろうと思われた)。 私はよく庭に面した縁側でごろ寝をしていた。説明するまでもないだろうが夏は蝉の声が聞こえた。たまに吹く風は木々の葉をかさかさと揺らした。ついでに風鈴も揺れた。そうして退屈な夏の日の午後が過ぎるのを待った。寝返りをうてば床板は軋んだ。 そしていつの間にか眠っていた。目を覚まさせたのはヒグラシの声だ。当時からヒグラシの声を聞くと胸がざわついた。そのざわつきの正体たる感情を説明する言葉を持たなかった(し、今でもやはりそれは説明できないものだ)。私が眠っている間に、友だちの家に遊びに行っていた兄が帰ってきていた。外はまだ明るい。兄は私をキャッチボールに誘った。私はよく兄のボールを捕り損ねて後ろへ逸らした。少し暗くなってきたころ、逸らしたボールをとりにかけ寄った木の根元で巣から出てきた蝉の幼虫を見つけた。私はそれを優しく拾い上げて、家に持ち帰る。庭の木の根元に載せる。 夕食のメインディッシュは祖父が獲ってきたサザエの壺焼きだった。妹はサザエの"しっぽ"の部分が嫌いだと言って兄に食べさせた。私はところてんを啜り、たれが喉に入ってむせた。スイカを食べて夕食はお終いだ。蝉のもとへ向かう。 すでに半身が殻から抜けている。私は何かを思い出して父からデジタルカメラを借りる。2GBのSDカードが入っていて、有効画素数は200万。様々な角度から蝉を撮る。兄も、私も、妹もそれに釘付けになる。蝉の羽化は時間がかかる。いくら興味があっても動きが少ないと退屈する。そしてまた眠ってしまう。 目が覚めると蝉はすでに殻を脱いでしまって翅を乾かしている。やってしまった!!と私は思う。母は写真撮っておいたよ、と言って私に...

Googleスプレッドシートでカレンダー兼ふりかえりシートをつくる

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 (最近はダレてきてしまっているが)一日一日を振り返り、点数をつけるというキショ行為をしている。点数を縦軸に、日付を横軸にしてグラフを描いたりしても面白いよなと思っていたので記録にはGoogleスプレッドシートを使っている。シートの雛形を作ってしまえばそれを複製するだけなのだが、日付と曜日を手入力で埋めるのは面倒なので Google Apps Scipt を使ってみた。 自分はプログラミング?を生業にも趣味にもしてないので個人ブログなどを参考にしながらつぎはぎのようにつくったからプログラミングを生業や趣味にしている人からすれば見苦しいかもしれないが、ほんの少しでも誰かの役に立つかもしれないのでここに記しておく。 function insertSheet6Sample() { var today = new Date(); var day = today.getDate(); if(day == 15){ function getDate(){ var today = new Date(); today.setMonth(today.getMonth() + 1); // 現在の日時を取得 var out = Utilities.formatDate(today, "JST", "YYYYMM"); // 現在の日時から、月を算出 return out; // yymmという形の文字列を戻り値として返す } var today = new Date(); var day = today.getDate(); if(day = 15) var MyNewSheet = getDate(); var plusone = new Date(); plusone.setMonth(plusone.getMonth() + 1); var ss = SpreadsheetApp.getActiveSpreadsheet(); var templateSheet = ss.getSheetByName('master'); ss.insertSheet(MyNewSheet, {template: templateSheet}); var out1 = Util...

温故知新

小学校を卒業するとき、中学校を卒業するとき、高校を卒業するとき、必ずと言っていいほど式辞では「目まぐるしく移り変わる現代社会において君たちは~」だとか「この激動の時代にあって君たちに求められるのは~」といった話をされた。大学の入学式でもそういった話はあっただろう。 確かに、21世紀に入ってグローバル化は大きく進展したのだろう。格安航空会社によって少なくとも隣国の韓国や台湾はかなり身近な場所となった。東南アジアにもかなり安く行ける。外国語を勉強する機会もツールも増えた。海外の文化に触れる機会も格段に多くなっているに違いない。遠隔地の人とコミュニケーションをとるのもかなり簡単になった。携帯電話の普及、光回線インターネットの普及、そしてスマートフォン。1990年代からすれば想像もできなかったような変わりようで、それを10年や20年で成し遂げたのは確かに驚嘆に値する。 一方でこれは有名な話であるが、家庭用コンピュータの登場からおよそ10年の平成元年においてワープロ専用機のメーカーは概ね「ワープロは文章を書く機械として特化されているからパソコンに取り込まれずに残る」と考えていたという( https://dime.jp/genre/644604/ )。今思えば完全に的はずれな予想だが、我々はこれを笑うことはできない。こういったエピソードから得られる教訓は「昔の人は馬鹿だった」ではなく「そもそも我々は先を見通すのが下手」である。そんな私たちにとって、世界というのは 常に 「激動の時代」に思われるに違いない。 1945年の焼け野原となった東京で、20年後にオリンピックが開催されると考えることができた人がどれだけいただろうか。石油危機を、冷戦の終結を、ソ連の解体を10年20年前から予想していた人はどれだけいるだろうか。人類が農耕ばかり行っていた時代はいざしらず、国家・産業・科学が明確に打ち立てられて以降は世界は目まぐるしく変わり続けているに違いない。今だけが特別な時代というわけがない。 かなり脇道に逸れた。 「この激動の時代において君たちに求められるのは~」と語る校長やPTA会長は時代に適応する能力を私たちに求めていたのではなく、何かを求めていたとすれば「時代に適応する能力が必要という議論そのもの」だ。もしかするとそれを話すだけでインテリを気取れる、児童生徒を教育したと自己満足できる...

カメムシについて

 昨日、カメムシを踏んだ。 高校生のころ、カメムシが大量発生した年があった。高校の校舎にまで多数のカメムシが入ってきていた。耐えかねた私は500mlペットボトルに教室と近くの廊下にいるカメムシすべてを詰め込んだ。カメムシは密閉容器に入れられると自分のニオイで死ぬという。 翌朝、登校すると教室の窓際に置いていたはずのペットボトルがなぜか教卓の上にあった。 クッソ!!中谷め!!チクリやがったな!! 私は朝礼で絞られた。 子ども科学電話相談 質問まとめ( https://www.nhk.or.jp/radio/kodomoqmagazine/detail/20200331_05.html )より抜粋 ふでこさん: 「くさいにおいを出す昆虫は、自分でもそのにおいに気付いているのか?」が知りたくて、去年ここに電話してかからなかったので、自分でカメムシを捕まえていろんな虫にくさいのをかがせて調べてみたのですが、本当のところはよく分かりませんでした。 石井アナ: そうだったんだ。以前電話をかけてくれたのに、ごめんなさいね。それで自分でも調べてみた。でも分からない、ということですね。きょうは、しっかりと丸山先生に教えてもらいましょう。丸山先生、ふでこさんの質問、どうでしょうか。 丸山先生: 答えから言いますと、自分自身では分かっていないんだと思います。 ふでこさん: え? (中略) 丸山先生: カメムシのにおいって、すぐに気化する、成分の強い毒のようなものです。カメムシをたくさんせまいビニール袋に入れて、そのにおいをいっぱい出させると、中でカメムシが自分のにおいの毒で死んじゃうんだよね。体には刺激があるから、カメムシも恐らく少しは分かってるとは思います。 (中略) 石井アナ: ちなみに、ふでこさんはどんな実験をしてみたの? ふでこさん: カメムシをカプセルに入れて、綿棒でつついてくさいにおいを出させて、アリ、バッタ、カエルとかにかがせてみました。 石井アナ: そしたら? ふでこさん: 背骨のある動物はあまり反応しなかったけど、ちょっとだけ反応した虫とかもいました。 石井アナ: たとえば? ふでこさん: バッタは、口から赤い液が出ました。 ふでこさんの実験、いいと思います。

教師はクソほども役に立たないという話、ではなく、

 小学校5年生くらいの理科でメダカを飼育する授業があった。オスとメスのメダカを混泳させ、卵を採取し、実体顕微鏡で眺めたりした。 のちに、それを踏まえてヒトも受精卵から誕生するということも説明された。 しかし、ヒトとメダカは違う。ヒトのタマゴなど見たことがない。ではヒトの精子と卵子はどのようにして受精するのか。 好奇心旺盛な子どもは教師にその疑問をよくぶつけるようだが、僕はそういうタイプではなかったので、説明しないということは説明するまでもないのだろうと考えて「精子は空気中を移行して女の体に入る」と自分の中で結論づけた。 時は流れ、僕は中学生になった。小さい学校だったから縦のつながりもかなり強く、入学して早々に"悪い"先輩によってチ○コをマ○コに入れて精子が女の体に入ると教えられた。 教師にそれを教えられたかったかというとYESとは言えない(し、教える側としての苦労も想像に難くない)が、そんな不誠実な教え方をするくらいなら最初からメダカとヒトの生殖の話なんか教えないほうがいいだろ、と思った。 === 中学校で僕が入った部活のキャプテンはすごく有能だった。 「誰かが注意されたりアドバイスされたりしているとき、それは自分に言われていると思え」 と僕に教えてくれた。この考えは部活だけでなくいろいろな場面で役に立った。 === 僕の住んでいた地域には毎年夏に祭りがあった。小学生と中学生が担う出し物もあり、祭りが近づくと中学生が小学生に出し物の指導をするという形でそれは継承されていた。蚊取り線香をつけさせたり(今の子どもの中はマッチが使えない子がけっこういるらしい)、集会所の蛍光灯を取り替えさせたりと中学生は小学生にいろいろなことを教えた。 祭りを無事終えればその打ち上げもあった。バーベキューの焼き網を洗う時タワシがなかったらマツボックリを使えばいいとか、花火をするときは水を張ったバケツを用意しろとか、面倒くさいから酒に酔った大人に近づくなとか教えてくれたのも中学生だったし、ロケット花火は面白いけど民家──たとえそれが空き家でも──に撃ち込むのはやめておけと教えてくれたのも中学生だった。 === 教師はクソほども役に立たない、と言いたいのではない(おそらく)。ただ、僕たちには"中学の悪い先輩"が必要なのだという話だ。 === 僕は大学生に...

ハイスクール・ベースボールの呪い

 またこの季節になった。 あの日、僕はたしかにマウンドに立っていた。 たった1点をとるのが──いや、たった一人のランナーを出すことが、そして、たった一つのアウトをとることがこんなにも難しいことなのかと思った。昨日のことのようとは言わないが僕にとってまだまだ新しい記憶だ。 それでも、たしかに僕は1998年生まれで、あれは2016年のことで、そして今は2021年。もう5年も前のこと。5年もの間この呪いを祓うことができずにいる。 要するに、グラウンドを駆け回る高校生たちが憎たらしく、妬ましく、羨ましい。今後の人生であのとき以上になにかに本気で取り組むことはないだろう。あのときみたいに仲間と真正面からぶつかることもないだろう。たくさんの人の前で持てる力のすべてを発揮するような経験も二度とないだろう。でも「いい経験だった」なんて一言では片付けられない。片付けられるわけがない。口先では「未練はない」と言っても、長い間、もしかすると一生解消されないわだかまりを抱える。そんな仲間がまた増える。

Xiaomi Mi 11 lite 5G を買った

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 7月2日発売となった Xiaomi の新スマートフォン Mi 11 lite 5G を買った。 それまで使っていた AQUOS R2compact がかなり気に入っていた(し、しかも画面を割ってしまったので中古を2ヶ月前に買ったばかりだった)ので買い替えはあまり真剣に検討していなかった。ただ、ガジェット系サイトやTwitterなどの情報を見る限り、画面サイズの割にかなり軽く、薄く、そして背面の質感などもかなりかっこよかったので一応実機(モック)を触ってみたいと思い、ビックカメラに向かった。 Xiaomi製品のコーナーを探していると店員が寄ってきた。 「お客さんスマートフォンをおさがしですか?」 「Xiaomi の新製品見てみたいなと思ってきたんですけど」 店員が売り場に案内してくれた。 モックを触ってみると前評判通り、薄くて軽かった。店員も 「どうです?軽いでしょう?」と言ってきた。 「いやあ、めちゃくちゃ軽いですね」と私は答えた。 感想を話すうちに、購入と同時にYmobileに契約することで端末代金が2万円割引になるということに揺さぶられ、口車に乗せられ、とりあえず見積もりをとってもらうことにした。 ===見積もり内容をざっくり=== ・それまでIIJmioのギガプラン4GBを契約→約1,100円/月 ・ワイモバイルの一番安いプランは3GBで約2,100円/月。ただし、端末が割引になるのはもう1段階上の約3,300円/月のプランを契約することが条件なので初月はこれを契約しなければならない。 ・割引後の端末代金は約24,000円。 ・初期費用が3,300円かかるがキャンペーンによりPayPay残高に同額還元。 ・短期間で頻繁に通信事業者の乗り換えをすると信用情報?的によくないらしいが、およそ半年くらい利用してからの乗り換えなら大丈夫。 これらを加味すると、端末代金約24,000円+(半年でまたIIJmioなどに戻るとして)月額料金の差額が(2,200円×1か月+1,000円×5か月の)7,200円で合計はおよそ31,200円。AQUOS R2compact はフリマサイトなどで15,000円から20,000円くらいで売れていることを考えると十分"アリ"だと思った。 私の記憶が正しければ同キャンペーンは7月31日までらしいので参考までに。 ===...

月岡芳年の鑑賞本を買った

 月岡芳年の鑑賞本を買った。 鬼才 月岡芳年の世界:浮世絵スペクタクル (コロナ・ブックス)  https://www.amazon.co.jp/dp/4582635121/ref=cm_sw_em_r_mt_dp_QM0C4NK2M8VJ5SCP8HF4/ 月岡芳年は写真や印刷技術の流入によって浮世絵が衰退していった幕末から明治中期にかけて活動した浮世絵師であり、小林清親や豊原国周と並んで「最後の浮世絵」と評される浮世絵師である。神話や合戦などの幅広いジャンルを手掛けた浮世絵師であるが、無残絵と呼ばれる殺しの現場などを生々しく描いた浮世絵師としても知られ、「血まみれ芳年」の二つ名でも呼ばれる。( https://jpreki.com/sanukiyoe/ および https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%88%E5%B2%A1%E8%8A%B3%E5%B9%B4 )。 私が月岡芳年を知ったのは2年くらい前のことだ。私はオカルト話や怖い話の全般が好きだが、なかでも「人間が一番怖い」みたいな話と「後味の悪い話」が特に好きだ。その後味の悪い話として「安達ヶ原の鬼婆」というものがあり、月岡芳年の作品のなかにその鬼婆を描いたものがあったことで彼の絵を知ったのだ。 安達ヶ原の鬼婆の概要は こちら 。 それを描いた月岡芳年の絵は こちら 。 血こそ描かれていないがwikipediaでは無残絵として言及されている。吊るされた妊婦と包丁を研ぐ醜悪な鬼婆を見事に描いている。 入り口こそ無残絵だったが、殺しや血塗れのシーンでない武者絵も精緻に描かれており、良い。私は美術を説明する言葉を多くは持たないが、なんと言えばいいのだろうか、芳年の絵に宿る侘しさと力強さの両立がとても好きだ。 また、芳年は西南戦争の様子を(想像で)描いた絵も残している。想像で描かれたものとはいえ、戦いの激しさがありありと伝わってくるように感じる。また、戦況をかなり速報性をもって伝えているという点も注目である。 最後に印象的だった絵を一枚( https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/8/82/Shinchunagon_Taira_no_Tomomori_Sweeping_the_Deck_LACMA_M....

覇気がないらしい

 覇気がないと言われる。やる気がないんだろと言われる。卑屈だと言われる。 自分でもそう思う。この5年間、覇気もなくやる気もなくただただ時間を浪費してきた。でも仕方ないだろ。自分にとって唯一無二だと思っていた野球が奪われてどうしろというのか。 高校2年から3年に進級する3月。冬から春にうつるころ。肘が限界を迎えた。伸ばすこともできなければ曲げるときにもひどく痛む。可動域は30°くらいしかなかった。内側の靭帯を傷めたようだった。それからはチームの練習の補助をしながらひたすら走った。走らされた。肘の状態は一向に良くならないまま走り続け、腰を傷めた。もう終わったと思った。その時点で退部することも考えた。それでも監督に押し切られる形で、痛み止めを服用しながら騙し騙し続けていくことになった。温情があったのか、色眼鏡なしに正当に評価されたのかはわからないが夏の大会は20番の背番号をもらえた。そしてあっけなく負けた。コールド負けだった。試合が終わるとほかの部員はやりきったという様子で清々しい表情をしていた。自分はどうしてもそういう気分にはなれなかった。このまま終わるなんて納得できないと思っていた。 部を引退してからは肘と腰の治療を続けつつ付け焼き刃で受験勉強に励んだ。肘はだいぶよくなったが、腰はまったく良くなる見込みがなかった。 そのままなんとなく時は流れセンター試験、二次試験と終え、とりあえずは志望校に合格し、あっという間に4月になった。 大学生活はとにかく暇だった。どうしてこんなに暇なのだろうかと運命を呪った。そういえば入学式では学長が「もちろん学問にも励んでほしいが、人との交流を大切にし、いろいろなことに挑戦してほしい」みたいなことを言っていただろうか。 しかし、10年間野球ばかりやってきた人間がいきなり「はい、時間たっぷりあるから好きなことやってね」と言われて何かできるのか。何もやりたくなかったし、何にも興味はなかった。あの頃の暇さを今でも呪っているし、大学生という人種が今でも世界一憎い。

無題

 「KM7019468G、起きなさい」 今日も脳内に響くこの無機質な声で目覚める。 Citizens' Life Cordinator。略してCLCと呼ばれることが多い。 6歳になったときに母に連れて行かれた病院で生体通信ナノマシンを身体にインストールされた。これは僕だけの話ではないようで、この国では誰もが6歳になるとCLCを扱うためにナノマシンを身体に取り込む。 それを使って僕たちの脳はCLCとの通信を行う。生体通信ナノマシンをインストールしてからというもの、僕たちは多くのことについてCLCから指示を受ける。そろそろ起きなさい、朝ご飯を食べなさい、今日は冷えるから上着を羽織りなさい、今のペースだと遅刻しそうだから少し速く歩きなさいなどなど。個人の思想や感情にはあまり介入できない、まさに"生活"だけをコーディネートする設計になっていると公式には説明されており、僕の経験からしてもその説明が全くの誤りであるとは断定しがたい。識者のなかではCLCの介入はやりすぎだとか、逆にもう少し人の内面に切り込んだほうが社会の秩序維持に役立つだとかいう議論があるらしい。 ともかく、CLCの指示通りベッドを抜け出しリビングへ。食卓にはすでに母が朝食を並べていた。 「リュウ、早く食べてしまいなさい」 母の言う通り手早く朝食を済ませ、学校へ向かう準備をする。 「KM7019468G、まだ磨き残しがあります。もう少し歯を磨いてください」 CLCはこんなところにまで目を光らせている。 ======== 学校へ向かう道中、いつものように39Rと出会う。 「よぉ、リュウ」 リュウという人間は存在しない。 「それやめろって言ってるだろ。68Gと呼べ」 「いいじゃねえかよ。お前の母さんはリュウって呼んでるんだろ」 「……とにかく、僕は68Gでお前は39Rだ。」 僕が生まれる50年以上前には"名"というもので個人を識別・管理していたらしい。名は多くの場合親が子に授けるものであり、子は自分でそれを選択することができない、それは個人の尊厳を毀損しているということで廃止されたそうだ。公的には僕はKM7019468G以外の何でもなく、リュウというのは母が勝手にそう呼んでいるだけだ。100年以上前には家族を識別するために"姓"というものがあったそう...

掏摸の目遣い

 今時の奉公人を見るに、いかう低い眼の着け所なり。スリの目遣いの様なり。大かた身のための欲得か、利発だてか、又は少し魂の落ち着きたる様なれば身構えをするばかりなり。我が身を主君に奉り、すみやかに死に切って幽霊となりて、二六時中主君の御事を嘆き、事を整へて進上申し、御国家を堅むると云ふ所に眼をつけねば、奉公人とは言はれぬなり。上下の差別あるべき様なし。されば、このあたりに、ぎしと居すわりて、神仏の勧めにても、少しは迷はぬ様、覚悟せねばならず。(葉隠聞書)