友だち0の大学生活 邪推に過敏編
年も明け2020年となったが1月は早くも折り返しである。皆様方はいかがお過ごしであろうか。
私はといえば、年が変わっても何も変わらぬ日々である。
ネタが尽き、正直このラベルでのブログはもう書かないかもしれないと思っていたが、徒然なるままに日暮せばよしなしごとが頭に浮かぶもので、ここはひとつ、中学生の作文を読むような気持ちでお付き合い願いたい。
繰り返し言ってきたが、この記事のシリーズのタイトルにもなっている通り、誇張でもなんでもなく僕は大学に友だちがいない。
世間では友だちがいないというとどこかマイナスのイメージが強いように思うのだが、これまで述べてきたように友だちがいないことにもメリットはあると考えているし、大して悲観もしていない。
とはいえ入学したてのころは少し戸惑ってしまい、
「自分もいつか友だちがいないことを悲観して不登校になってしまうのだろうか」
「自分もいつか友だちがいないことを苦にして自殺してしまうのではないか」
といったことを考えたこともあった。
しばらくたって日々に慣れてしまってからは、こういうことを考えるのはいつの間にかなくなっていたが、今にして思えば友だちがいないことを苦にして不登校・自殺なんて絶対にあり得ないことで、当時の私の考えはまさに杞憂だったように思う。
どういうことかといえば、それは私の臆病な自尊心に起因する。
認めてしまうのは悔しいが私は小心者である。そして私が思うに、そういう人に限って人から良く見られたいという思いが強く、私もその例外ではなかった。
ではそれと「友だちがいないことを苦にして不登校・自殺など絶対にあり得ない」ということがどう関係あるのか。
まず不登校になる場合について考えてみたい。
友だちがいないとはいえ外国語の授業は比較的少人数であるし、さらに実習等では班単位で指導を受けるため私という人間が同級生から全く認知されていないわけではない。
そんな中で友だちがおらず、普段誰とも行動を共にしない私がある日を境に全く大学に姿を現さなくなると、彼らは
「アイツ友だちいないから不登校になったんだ(笑)」などと、ほんの僅かでも思うに違いない。
自尊心が強い私としては「友だちがいないから不登校」が世間でマイナスのイメージで扱われる以上たまったもんじゃない。寧ろ、毎日ピンピンした姿で大学へ行き、「友だちがいないことなんか全く効いてないんだが?」とアッピーーールする必要がある。
よって私が友だちがいないことを苦にして不登校になるなど絶対にあり得ない。
この論理で行けば自殺などなおさらあり得ないことは容易に想像がつくだろう。
自殺となれば扱いが大きくなるため同級生の反応も増すだろうし、私は下宿住まいなので大学の人間に加え、両親や高校の教師などより多くの人間が先に述べたような邪推をするに違いないからだ。
私が知る限り、自尊心というのは生まれながらにして不変のものではなく「自尊心を高める」であるとか「自尊心が傷つく」などの言い方のがあるように後天的に変化しうるものとして扱われている。強すぎる自尊心は他人も自分も傷つけることに繋がると思うが、アカハラ自殺やパワハラ自殺などがワイドショーを賑わせるこのストレス社会において、程よく自尊心を高めることは上記の論理を意図的に働かせて自殺などを防ぐことにつながるかもしれない。
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