地方出身者の標準語での感情表現・感情発露
なにかの調査報告のような仰々しいタイトルをつけたが単なる主観的な逡巡であることを断っておく。
私は地方出身者だ。そんな私にとって、思春期ごろまでは標準語というのは基本的にテレビや本、学校の教科書などで触れるものであって自分が話す言葉としては捉えていなかった。
私が生まれ育った地域周辺では、祖父母の世代においても学術的に研究されるようなレベル(youtubeなどで"方言"を調べると様々な音声が聞けるがその音声のようなレベル)で方言というものが色濃く残っているわけではなかったが、イントネーションやアクセントのちょっとした訛り、標準語的ではない語尾(ステレオタイプな例となるが関西地方で話される「~やで」、博多弁の「~たい」のような)は年代問わず浸透しており、それに関して私も例外ではなかった。ここではそういう言葉を「お国言葉」と呼ぶこととする。
私を含めた子どもたちははじめ、家庭で聞き馴染んだ(両親や祖父母が話す)お国言葉を話すが、小学校の中学年ごろには敬語を少しずつ学んでいき、教師や友だちの親などに対してはそれまで話していたものとは異なる言葉を話すようになる。とは言っても教師や友だちの親の多くもお国言葉の話者であり、子どもたちが話すのはお国言葉に標準語の敬語が入り混じった"ネオ敬語"であった。入り混じりの度合いは成長とともに変わっていき徐々に自然な標準語に近づいてはいくが、高校3年生になってもネオ敬語を話すような人間も少なくはなかった(私はどちらかといえば標準語に近いほうであったという自覚はあるがそれでも多少はお国言葉も混じってしまっていただろう)。
それからやがて私は大学進学に際し、生まれ育った地域を離れた。私は活字によく触れていたし、部活動や地域活動で目上の人と関わる機会も十分にあり、標準語は話せるつもりでいた。そして実際私はある程度うまくやったのだ。学校の先輩やアルバイト先の社員さんなどとは普通に話せていた(つもりだ)。しかし、地元を飛び出してみて初めて気づくことがあった。
私は標準語の"タメ語"を話したことがなかったのだ。同学年の人間と話すのが怖かった。
いつからそういう脳内の回路ができたのかはわからないが、私は相手に応じて"お国言葉"の程度を(はじめは意識していたのかもしれないが今となっては)無意識に使い分けるようになっている。地元にいても同年代の友人と話すときは訛りや特殊な語尾があまり出にくいのに対し、自分の祖父母や近所の高齢者と話すときは訛りが強くなるというふうに。だから私は大学で知り合った同年代の知人に対しては意識して抑えずとも、お国言葉は出なかった(地方出身者あるあるらしい「不意に方言が出てしまって恥ずかしかった」というエピソードが私にはない)。ただ、タメ語で"自然に"話すことは難しかった。はじめのうちは何かを話すのに、思ったことが敬語の文章としてまず頭に思い浮かび、それをタメ語っぽく直して口に出すという作業をしていた記憶がある。今はこんなまどろっこしいことをしていないが、それでも、自分の感情を真っ直ぐに表現できているようには思わない。
かなり感覚的な話となり、理解し難いかもしれないが、図に示すように「心」から「言葉」に至るまでに「頭」という過程が挟まるぶん、心をうまく反映できていないような感覚がある。こう考えると、タメ語ほど意識を挟むことなく話せる標準語の敬語でさえも、これまで使ってきた場面を考えると教師や地域の大人、学校の先輩との事務的な連絡・ちょっとした世間話がほとんどで、これによって感情を表現したことはほとんどなかったのではないかという気持ちになってくる。
これもまた感覚的な表現になるが、私にとって標準語は"考え"を表明するための言葉なのであって、"気持ち"や"感情"を表明するためのものではないのだと思う。
もしかすると感情をうまく表現できなくなったのは単に歳を重ねたことによって抑制が効くようになっただけなのかもしれない。あるいは言葉が関連していたとしてもこれからもっと標準語に慣れていけば感情の表現もうまくできるようになっていくのかもしれない。
感情表現との関係はどうであれ、お国言葉と標準語の相違によって私が少なからずストレスを感じているのは事実であり、これは標準語に幼少期から接する頻度が多いであろう首都圏で生まれ育った人や、お国言葉を抑制しない傾向にある関西出身の人を除く地方出身者、さらにその中の一部の人間、多く見積もっても日本人の5分の1程度にしか通じない私の魂の叫びだ。
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