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9月, 2021の投稿を表示しています

暑くない9月と崖

 皆様におかれてはこの9月を振り返ってどういう感想を抱くだろうか。 8月を振り返る記事では「9月も目の前だというのに猛暑日だった」と言ったがその割には、9月に入ってから暑い日があまり多くはなかったように思う。概して過ごしやすい日々だったように思う。たまにある暑さがまさしく"残暑"だと思えた(近年では9月の暑さは「こんなの残暑じゃなくてまだまだ"本格的な暑さ"だよ!!」という感じだったのだが)。 9月になって変わったことと言えば私の場合はまず就職活動のことをちゃんと考えるようになったということが挙げられる。周囲の様子を見聞きしたり先輩の話を聞く限りではまだまだ序の口といった程度の力の入れ具合だが、一応はスタートを切れたことそれ自体をまずは良しとしたいと思う。就職活動といえば大学生を悩ますイベントランキングで1位2位に食い込んでくるものであると思われるが、まだまだ走り出したばかりの自分にもその辛さの一端は見えてきたのでいつかはブログ記事にしたいと思う。 それから9月になってからブログにプロフィールページを作った。それからマシュマロのアカウントも作った。ブログのネタやお題、質問などいただけると投稿ペースの維持に役立ちそうなのでご協力いただけると嬉しい。 秋口になると毎年のように言っている気がするが、秋といえば米やサツマイモの収穫があり、栗もとれるしサンマも美味いから、食い物に負けないくらい実りの多い期間にしたいと思う次第である。

大学院生のメンタルヘルス

 「悲観することはない」とか「楽しんでいこうぜ」みたいな論調でブログ記事をいくつか書いているくせに、夜、寝付けず枕元のスマートフォンを手にとって「大学院生 うつ」などと検索している自分がたまにいる。 おそらくこれは単に私がマイナス思考人間だからというだけの話ではない。大学院生のメンタルヘルスの問題というのは近年、NatureやScienceなどといった権威ある学術誌で頻繁に取り沙汰されるトピックである(博士課程の学生に焦点を当てているケースが多いが修士課程の学生においても同じような指摘がある)。 https://www.nature.com/articles/nbt.4089 https://www.jstage.jst.go.jp/article/jinbunxshakai/1/1/1_107/_article/-char/ja/ たとえば、2018年に nature biotechnology に掲載された記事によれば、カリフォルニア大学バークレー校が「生命科学分野の大学院生のうち43-46%が抑うつ状態にある」と報告しているようである。また、この記事の著者は、大学院生は一般の人と比べてうつ病や不安状態を経験する割合が6倍以上に上ると報告している(ただし、このアンケートは無作為抽出で行われたものではなく自己応募型であり、選択バイアスが生じた可能性があることに留意したい)。その原因としてはワークライフバランス(研究に供する時間・労力とプライベートとのバランス)、主任研究者との関係などが指摘されている。 また、下の「人文×社会」の論文でもワークライフバランス、指導教員との関係、キャリアパスの不安、経済的理由などが指摘されている。 ここからは私の体験から抑うつ状態や不安感情が生まれる原因を考えてみたい。 ---- ワークライフバランスについて言えば、(研究分野によって差異は大きそうだが)たしかにコアタイムによって平日はほとんど拘束され、学部生のころと比べると自由な時間はなかなかとれない。また、稀に21時や22時まで残らざるを得なくなることもある。忙しさには波があって、ほとんど一日中手を動かしているような日もあれば、あまりやることがない日もある(そういうときは関連分野の論文を読めという話なのだろうが)。正直にいうとあまりやることがないにも関わらず、コアタイムに拘...

追想五断章

 追想五断章 米澤穂信 大学を休学し、伯父の古書店に居候する菅生芳光は、ある女性から、死んだ父親が書いた五つの「結末のない物語」を探して欲しい、という依頼を受ける。調査を進めるうちに、故人が20年以上前の未解決事件「アントワープの銃声」の容疑者だったことがわかり―。(Amazon、「商品の説明」より) この本の紹介を書くとはいいながらなかなか筆…というよりはキーボードを叩く指が進まず、遅くなってしまった。先日読み返してみたので簡単にではあるがまとめてみたいと思う。 ひとつ感じるのは、誰しも背負っているものがあるということだ。芳光にも、芳光を居候させてくれている伯父の広一郎にも、物語の探索の依頼主である北里可南子にも、その亡き父である北里参吾にも。 当人の置かれている状況を知っていくにつれてその人の背負っているものが何かを想像することはできるが、相手は明確には口にしないし確信を得るには至らない。現実を描写するのに「彼は悲しい」「彼女は嬉しい」という文章はあり得ない。あっても「彼は悲しそう」「彼女は嬉しそう」だ。他者の感情を断定することはできない。 相手の感情を察して気遣ったり、優しくしたりすることはできるが、それは的外れですれ違うこともある。この物語は「参吾はなぜ物語を残したのか」「なぜ可南子は父の遺した物語を探すのか」が軸であるが、そういったすれ違いの物語でもある。 私たちは自分以外の人が何を感じているのか、何を考えているのかを想像することで人に優しくすることができるし、そういった気遣いが社会を成り立たせている部分もある。しかしながら、想像することがかえって失礼なことになる(「人の心情に土足で立ち入る」というような言い方もある…)場合もある。これらの境界は曖昧で地雷原を歩くようなものだったりもするのだが、そういった状況で自分はどうするか葛藤することができるのは一つの美徳だと私は思う。

サピエンス全史(上)

 サピエンス全史(上) 知人から借りた本であり、もう返却してしまったため本記事での細部の記述には誤りがあるかもしれないということを先に断っておく。 4,5年ほど前だろうか、それくらいのころにけっこう話題になっていた本。石器時代から現代にかけてのホモ・サピエンスの社会・生活について著者の専門である歴史学の観点から綴られている。 もっとも印象深かったのは農耕の功罪についての話である。狩猟採集生活は定常的に同じものを確保するという点では食糧確保の確実性は低かったが、逆に言えば今日の我々のようにイネやコムギ、イモなどの特定の作物に依存していなかった。凶作が起こってドミノ倒しのように飢餓に陥ることはなく、多様なものを食べている分、栄養状態も悪くなかったという。新生児の平均余命の数値は現代人よりも小さかったがある程度成長してしまえば今日の我々と比べて極端に短命だったわけでもないようだ。 一方農耕が始まって以降。コムギやイネなどの作物の栽培を始め、将来を見越して食糧を確保するようになった。凶作によって共倒れになるという危険もあったが、安定的に高エネルギーの食糧を確保できるようになったことは人口の増加に作用し、我々ホモ・サピエンスが地球上で75億を超える個体数を誇るまでになる礎となった。つまり、農耕がホモ・サピエンスの 種としての 繁栄をもたらした。 しかし農耕には負の側面も様々にあった。耕地を形成するにあたって森林を切り拓き野生動物の住処を奪った。増大し続ける人口を包容するために人々は田畑で働き続けることになった。(狩猟採集の社会にもヒトのヒエラルキーはあったものの)明確な身分というものを生み、奴隷というものが誕生した。特定の作物に依存することで多様なものを摂取しなくなりミネラルなどの栄養分が不足するようになった。などなど。 ここで問題にしたいのは種としての繁栄と個人の幸福・QOLというのは別個に考える必要があるということだ。農耕に従事する奴隷たちに「あなたたちが農耕を頑張ったおかげでホモ・サピエンスは将来地球上でもっとも繁栄を究めた種のひとつになりましたよ」と言っても何の慰めにもならないだろうし、現代ブラック企業でただ働き続けることに人生が忙殺されているサラリーマンに対しても同じことが言えるだろう。私たちは種の繁栄を目指しているのか、個人の幸福を高めることを目指している...

Mi 11 lite 5G 使用感想【2ヶ月経過】

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 Mi 11 lite 5G を使って2ヶ月が経過したので購入直後では気づかなかったことを書いていきたい。 --- まず、最近になってようやく付属のACアダプターとUSBケーブルを使って充電するようになった。33Wでの急速充電(Qualcomm® Quick Charge™ 3.0)に対応しているがこれがめちゃくちゃ早い。意識して時間を測ったことはないが、体感としては50%から100%まで充電するのに15分強くらいしかかからないように感じる。 あとはセカンドスペース機能。PCであれば同じハードウェアでもログインするユーザーが違えば異なるデスクトップが表示されるが、スマートフォンでそういうことができる機種はなかなかない。しかしながらXiaomiをはじめとする中華スマートフォンではそれができる機種があり、Mi 11 lite 5G もその一つだ。 使い道としては、まあ、あまり"よろしくないアプリ"はファーストスペース側には入れずにセカンドスペースに置いておくというのが真っ先に思い浮かぶが、そういったアングラ的な要素抜きにビジネスマンだと「プライベートと仕事の環境は分けておきたい」というようなニーズはあるのではないだろうか。ファーストスペースとセカンドスペースの切り替えもかなりスムーズで、たとえば指紋認証では割り当てる指によって起動するスペースを使い分けることができる(右手親指ならファースト、左手人差し指ならセカンド、といったように)。 以下の記事では同じくセカンドスペース機能を搭載する Mi 10 lite 5G が「浮気スマホ」として絶賛(?)されている。 令和新時代の「浮気スマホ」はシャオミでキマリ!MIUIのデュアルアプリとセカンドスペースが最強すぎる【本日発売 Mi 10 Lite 5G】 – すまほん!!  https://smhn.info/202009-xiaomi-uwaki-dual-apps-2nd-space カメラについて。購入直後はあまり感じなかったのだが、2ヶ月以上使ってきて(最近のスマホはもっぱらそうなのだろうが)コンピュテーショナル・フォトグラフィー感がかなり強いと思う。良く言えば鮮やかで画になる。悪く言えばツクリモノっぽさを感じる。以前使っていたAQUOS R2 compact はもう少し写実的--悪く言えば地味--...

愛と幻想のファシズム

 愛と幻想のファシズム 村上龍 --- 激動する1990年、世界経済は恐慌へ突入。日本は未曽有の危機を迎えた。サバイバリスト鈴原冬二をカリスマとする政治結社「狩猟社」のもとには、日本を代表する学者、官僚、そしてテロリストが結集。人々は彼らをファシストと呼んだが…。これはかつてない規模で描かれた衝撃の政治経済小説である。(Amazon、「商品の説明」より) --- 上下巻で1,000ページを超える大作。 スポイルドベア、すなわち個体間の競争に敗れて人里などに現れたクマは射殺してもいいことになっているとし、それは人間にも適用されるべきというのがトウジの哲学だ。システムをぶっ壊し、死ぬべき者が死に生きるべき者だけが生きるという狩猟世界のルールに戻すというのがトウジの目的だ。 私の生まれた世界が狩猟社会だったら、私は物心がつくまで生きることができなかったろうと思う。だから、私はトウジの思想を全面的に支持することはできない。しかし、システムがなければ生きていけないのにシステムにタダ乗りしようとする人間に対して憎悪に近い感情はある。 要するに私たちは生きるということを知らない。戦わなくても生きていけるから、地を這いつくばらなくても生きていけるから、生きるということを知らない。グリズリー(ヒグマ?)は水を飲むためだけに何時間もかけて斜面を下りて沢に向かうという話が作中に出てきたが、私たちはそういうことを知らない。そんな私たちだから腐敗というものが起こる。 イデオロギーめいた話になってきたが、これ以上続けるのはやめておこう。とにかく、私はこの作品を挑発と受け取った。システムのなかでのうのうと生きていていいのか、気づいたときにはスポイルされているぞ、と。誇りを失わず生きていくためには野生動物の生き方も見習わなければならない。

ボトルネック・追想五断章を取り戻した

 春に引っ越しをした。その際、荷物を整理していて「大して読み返しもしない本をずっと持ってるのなんか馬鹿馬鹿しいな」と思った( https://taihaikuukyo.blogspot.com/2021/03/blog-post_18.html )。そして厳選をした。篩にかけた。ところでこのように何かを選抜することを「篩にかける」と表現するとき、選び取るのは篩に残る側だろうか?篩の目をくぐった側だろうか?つまりは、選抜基準があまりにも厳しすぎたことを「篩の目が粗すぎた」と言うべきか「篩の目が細かすぎた」と言うべきか迷ったのだ。平たく言うと、私は本を処分しすぎた。 それからは電子書籍を使ってみることにした。Kindleはすごいと思う。昨今のAmazonの勢いを見る限り少なくとも私が生きている間はサービスが終了することはないように思える。少しではあるが、定価は紙の本よりも安い。セールもそこそこ頻繁にやっている。深夜だろうが早朝だろうが読みたいと思ったときに読みたいと思った本を買える。気に入った文章にマークをつけることもできる。辞書機能を使えばわからない単語の意味がすぐに出てくる。 しかし、私には合わなかった。長いお別れ(レイモンド・チャンドラー)、鍵のない夢を見る(辻村深月)、墓地を見おろす家(小池真理子)などを読んだが本当に時間がかかった。どうしても内容が頭に入ってこなかった。とても疲れた。「電子書籍は集中できない」と思っていたのだが本当は違っていて、一画面に表示されるエリアが紙の本の見開きより随分狭いせいで斜め読み・流し読みがしづらくて、必要以上に集中力が要求されるのが嫌だったのだと理解した。 一応補足しておくと私はスマートフォンの Kindle アプリ、PC の Kindle for PC を使っていた。スマートフォンやPCだとほかのアプリなどによって注意力が散漫になっていたということもあるだろう。だから Kindle Paperwhite などを使っていれば事情はまた違ったのかもしれない。 というわけで紙の本に回帰しようという気になったのだが、「読むのに疲れる、時間がかかる」というだけなら踏みとどまってもよかったかもしれない。ここで私は懺悔しよう。悔い改めよう。「大して読み返しもしないのにずっと持ってるなんてバカバカしい」。バカかお前は。私はここで認めよ...

勝負の前には掃除をする

 勝負の前には掃除をする。どうしてかは説明できないしそもそも考えたこともない。単にそういうことになっている。 中学生のころから、野球の試合の前には練習場の投球板とホームプレートをタワシで擦っていた。年季の入ったそれらは決してピカピカにはならなかった。真っ白にはならなかった。それでも砂塵に塗れたまま放置するよりはマシだと思った。当時の私には信仰があった。家に帰ればスパイクを磨いた。泥を落とし、湿らせたボロ雑巾で拭いて、コーティング剤を塗った。グラブにはあまり触れなかった。グラブに関しては普段から念入りに手入れしていたし、試合前にオイルを塗ったりするのはグラブが重くなってしまってかえってよくないという信仰があったからだ。 高校1年生のころの担任は「一に掃除、二に部活、三、四がなくて五に勉強」と言った。「テスト前に限って部屋の掃除に凝ってしまう」みたいな話があるが、私にとってはそれは必然だった。勝負の前には掃除をする。センター試験に行く前に家のトイレと自室を掃除した。ホテルではシーツを整えた(信じられないかもしれないが、田舎の人間にとってはセンター試験は泊りがけのイベントだ。そういう世界がある)。個別試験でも同様だった。 と、ここまで書いてみて気づくのは、逆説的に、いつも掃除をしっかりしている人はいつも勝負をしているのではないかということだ。いつも勝負に臨める人は好機を掴めるのではないか。 毎日掃除するか…

ツバメの雛を黙らせろ

 美しい物語性というのは誰もが手にできるものではない。誰もが美しい夢を見続けられるわけではない。夢から醒めてしまった大多数の人には、生活があるだけだ。地味で、泥臭く、時に血腥い。そんな暮らしがあるだけだ。 そんな暮らしは御免だ? 少し考えてみるといい。本当は、夢を見ていた間だって私たち大多数の凡人には最初から物語なんて用意されていなかった。美しい物語はいつだって後付けだ。退屈な毎日が過ぎ去ったあとに、後付けで美しい物語が与えられる、あなたもそんな生活をしてきたはずだ。 私はもうXX歳だが大人になるということがどういうことなのか未だにわからない。ただ、もしかすると後付けの物語を自分で付加できるのが大人でそれができないのが子どもなのかもしれないと思う。 誰だって心の中にツバメの雛を飼っている。雛は口を開いて、ピイピイ喚いて、親鳥が虫を運んでくるのを待っている。雛にコントロール権を奪われている人もいる。ちゃんと自ら親鳥の役目を果たして、心の中のツバメの雛を黙らせられるのが大人なんじゃないか。口を開いていれば与えられると思っていないで、自ら物語を紡げ。 的なね?

徒然九月

 無能で、多額の奨学金を借りていて、友だちがおらず、まあとにかくどうしようもない。 そんな私ではあるが、2023年の3月がモラトリアム延長の限度になりそうだ。つまりは、そろそろ就職活動をしなければならない。 自称するのは少しダサい気もするのだが、私は自分のことを根無し草だと思っていた。最初に根を張ったところを飛び出さざるを得なかったのだが、一度飛び出してしまえばもうどこにいようが同じだと思った。さすがに世界中どこでもとは言わないが、日本国内ならどこに行かされてもよかった。したがって就職について考えたとき、勤務地の希望というのは特になかった。強いて言えば東京以外がいいと思ったが、北海道でも青森でも沖縄でも鳥取でも島根でも高知でもどこでもよかった。 しかし、この期に及んでその考えが変わりつつある。そんな9月です。