投稿

8月, 2021の投稿を表示しています

異常な8月

イメージ
 今年の8月は異常だった。 アレの影響という点では昨年も異常だった。しかし、この2021年の8月はほんとうに存在したのだろうかというほどの異常さだった。とまでいくと言い過ぎかもしれないが、今月が8月だったというのは嘘ではないだろうかと思う。 帰省回顧録でも触れたがとにかく雨が降った。半年分とか一年分の雨が3日そこらで降って、大きな人的被害・経済的損害が起こった地域もあった。全国的な雨の傾向は8月の中旬すぎまで続いた。梅雨が一ヶ月延びたのかと思った。 そして先週あたりに"梅雨明け"。さすがにクマゼミやアブラゼミはもうあまり鳴いておらず、ツクツクボウシが主役になったりしてはいるが、気温で言えば夏真っ盛りという感じになった。ついでに夏の甲子園は昨日まで続いていた。 もう9月も目の前だというのに昨日はかき氷を食べに行った。9月も目の前だというのにアロハシャツを着ていた。9月も目の前だというのに猛暑日だった。かき氷を食べることもアロハシャツを着ることも決して"季節外れ"ではないようだった。 10年も経てばきっとほとんど覚えていない。5年後や3年後ならこの8月をどう振り返るのだろうか。21時を過ぎても高校野球の試合が続いていた8月。甲子園の決勝が29日だった8月。いくら異常だと言ってもいずれはすべて忘却の彼方なのだろうか。私が覚えているのは14歳と17歳の夏だけだ。 想い出は遠くの日々

フリマサイトなどによって買い物の心理的ハードルが下がっているという話

 昨日の Nebule Capsule を買ったという記事では最後に「使わなくなったら売ればいい」として締めた。この記事を読み返してみて、無意識のうちに買う前から「あまり気に入らなかったら売ればいいか」と思っている自分がいることに気づいた。 このモバイルプロジェクターの買い物に限った話ではない。7月のはじめに Xiaomi の Mi 11 lite 5G を買ったという話もしたが、そこでも、その当時メインで使っていた端末を売ることを前提として購入を決断した(結果的にちゃんと20,000円ほどで売れた)。今年の3月ごろ出費がかさんだ時期にも収支のバランスをとろうと、プレイ頻度が下がっていた Nintendo Switch を売った。同じころ Google Home mini も売った。 背景にはフリマサイト・ネットオークションなどが一般化したということがあるように思う。もちろんそれ以前から、古くは本の買い取り、そしてゲームや携帯電話などの買い取りといった店舗型のサービスはあったが、どのくらいの値段で売れるのかという情報は当たり前のように得られるものではなかったように思う。個人対企業という構図では買取価格への納得感もあまりなかったのではないかと思う。どの会社とは言わないが、本の買い取りではクソみたいな値段をつけて買い取る会社はある種われわれの共通認識というかネタになっている(大量の本をとにかく手っ取り早く処分したい、というときにはありがたいと思えるのだが)。 それに比べてメルカリやヤフオク、ラクマなどでは同じ商品が過去にどのくらいの値段で売れたのかという取引の情報が溢れているし、メルカリのアプリでは値段を設定する際に「XX円~ZZ円だと売れやすい」みたいなサジェッションが表示される。こういう情報を頭の中に入れておくと「仮に1年使ってから手放すとしてそのころには○円くらいで売れるか、そうすると実質○円か」という計算をしてから買うかどうかを考える。売るという手段があるのとないのとでは購入に至る心理的ハードルがけっこう違ってくるのではないだろうか。 いわゆる転売ヤーの買い占めが社会問題化し、さらにそれに対してフリマ事業者が施す規制も甘いのではないかという指摘もある。私個人としても、「使うつもりもない新品をたくさん購入して売る」という行為、「買い占めによって釣り上がった...

Nebula Capsule を買った

 Nebula Capsule を買った。モバイルバッテリーなどでおなじみの Anker 製のモバイルプロジェクター。Android 7.1 搭載。2018年に発売された製品と、少し古め。フリマサイトで未使用品を約2.6万円で購入。 有線での映像の入力としては HDMI と USB が使えるようだ。USB は充電用でもある(HDMI のほうは試してみたが USB のほうは試していない。端子が USB type-C ではなく Micro USB なのが少し残念)。Bluetooth接続にも対応している。また、Android を搭載しており、Wi-Fiに接続してNebula用にカスタマイズされたアプリケーションからAmazonプライムビデオや Netflix、youtube などの映像を視聴することもできる。Miracast(?)を使って同一ネットワーク上のスマートフォンやPCの画面を無線でミラーリングすることもできる。 搭載OSが Android 7.1 と若干古めなのでそう遠くないうちにアプリケーションの対応は終わるかもしれないが、HDMI 入力ができるのでプロジェクターとしてはそれ以降も使える(その場合は"モバイル"としての部分はかなり損なわれるが)。 そもそも買った動機としては今まで映像作品を主にスマホで見ていたから。テレビを持っていなかったから。いや、今の部屋に引っ越してくるまでは一応テレビは持っていたが、14インチ?くらいと小さめだったし、Nintendo Switch をテレビモードで使う以外にはあまり活用していなかった。スマホやラップトップPCで映画などを見るのはなんだか味気ない。でもテレビは見ないんだから大型テレビを買うのは費用に見合わない気がする。そう思うと3万円未満でプロジェクターを買うのはけっこういい選択肢だと思った。 "モバイル"プロジェクターなのでバッテリーを内蔵しており、電源に接続していなくても使うことができる。公称では動画再生時間はローカルコンテンツ再生時最大約4時間、Wi-Fi利用時で最大約3時間とのこと。映画を1本か2本見られるくらい。単にBluetoothスピーカーとしても使うことができ、その場合再生時間は約30時間。 プロジェクターとしては気になるのは輝度だが、最大100ルーメンとのこと。そ...

【書評】ラブカは静かに弓を持つ

 ラブカは静かに弓を持つ 小説すばるで連載していた「ラブカは静かに弓を持つ」が9月号で完結した。 音楽著作権管理団体である全著連(われわれの知るところのJASRACに相当する)の職員の橘は、上司に命じられミカサ音楽教室に生徒として通い、教室で著作権が及ぶ楽曲が演奏されている証拠を集めることとなる。橘はチェロを習うことになるが、講師やほかの生徒と親睦を深めるうちに「スパイとしての自分」と「生徒としての自分」との間で板挟みになる。 ラブカはいわゆる深海ザメの一種である。この種は胎生で、(深海に生息しており生態があまりわかっていないため)人工飼育が難しく、正確な測定はなされていないものの、妊娠期間は脊椎動物中最長の約3.5年と見積もられている。作中では「この長い妊娠期間をもつ生物を長期間潜入するスパイと重ねたスパイ映画がある」と描写され(この映画の劇中曲をつくった人は有名なチェロ曲も書いている、みたいな流れでこの話が出てきたのだと思う)、橘もまたそれと自分とを重ね合わせる。「弓を持つ」は言うまでもなくチェロを弾く弓を手に取るという意味だろう。 橘の葛藤~結末までは"順当に話が進んだ"と感じる。逆に言えばひねりがないと感じる人もいるかもしれないが、個人的には「この作品はこれでいいのだ」と思った。

継続的にブログを書くには

 近年まれに見る雨続きで梅雨が例年より1ヶ月ほども長引いているようなこのごろであるが、いかがお過ごしだろうか。 今日はネタがないため、これまでの経験上どういうときに記事を書くことができているのか、今後どうしていけば継続的に書くことができるのかを考えていきたい。 まずパッと思い浮かぶ方針として、本や映画などを読んだり見たりして、感想を書くというものがある。細部にこだわらなければ、記事の本数稼ぎにかなり有用だろう。しかし、内容を深めたいとするとなかなか難しいところがある。そもそも感想を書くというのは難しいことだ。先日感想を書いた「小説読解入門」でも似たことが述べられていたのだが、物語から多くのことを拾い上げるには知性と教養が必要になる。無理に文字数を増やそうとしてあれやこれやを書いていくと、自分の知性と教養のなさを露呈するかもしれない。これは恥ずかしい。 また、なにかを評論する際、ときにはある程度厳しい態度で批判的に論ずる必要があるのではないかと私は思っている。そして、そういうときこそ特に無教養を露呈しやすいだろう。これまでの私の書評の記事を振り返ってみると、ほとんど好意的な書き方をしていることがわかる。批評する力を養うために「小説読解入門」の著者が2005年に著した「批評理論入門」( https://www.amazon.co.jp/dp/4121017900/ )も読んでみようかと思っている。 また、一時期、Yahoo!きっずの「今日は何の日」を参照して、それについていろいろ書くという試みもしていた。しかし、文字数を稼ぐことも、濃い内容にすることもなかなか難しかった。また、過去の記事をしっかり管理していないと数年もすればどこかで必ず内容の重複が起きるだろう。そういった意味でこの方法はあまり得策ではない気がしている。 もうひとつの軸として日記のように日々の出来事を綴るというやり方もある。私のブログでは「よしなしごと」のラベルの記事が部分的にそれをカバーしている。これの難しいところはそう毎日のように印象的な出来事が起こるわけではないという点だ。しかし、逆に考えてみると何もない毎日が続くのを防ぐためにそういうやり方があるのだとも思える。Youtuberを例にとって考えるとわかりやすいが、普通に過ごしていて面白い動画なんて当たり前のように撮れるわけではない。だからこ...

帰省回顧録2021夏

 先日、盆の帰省をした。最後に実家に帰ったのは2019年の年末から2020年の年初にかけてであったから、実に1年と7ヶ月以上実家に帰っていなかった。新型コロナウイルスのパンデミックのさなか、帰省していいのか迷いはしたが、自分が一回目のワクチン接種を受けており、両親も祖父母も二回のワクチン接種を済ませていることから久しぶりに実家に帰るに至った。 お盆期間中、日本列島には前線が停滞し、多くの地域で雨続きとなった。私の実家周辺も例外ではなく、雨のせいか、寂れた過疎の街が以前にも増して閑散としているように思えた。バスを降りてしばらく待つと母が迎えに来た。私が帰らない間に我が家では車が買い替えられていた。20万km以上走ったというミニバンはお役御免となり、新たにハッチバックセダンが迎え入れられていた。見慣れぬ車に乗るのは変な気分だった。少年野球をしていたころ、大会や練習試合に向かうためにチームメイトの親の車に乗ったときの緊張感を思い出した。最近の車は座席の調節やパーキングブレーキが電動なのだと知った。 車から見える街の景色は代わり映えしなかった。中心部と言えるエリアでは銀行やスーパー、ガソリンスタンド、ホームセンターなど現代において健康で文化的な最低限度の生活を営むために不可欠な施設が、ボロボロになりながら、あるいは小さく建て替えられてこじんまりとしながら、そこに存在していることそれ自体が目的であるかのように、なんとなく構えていた。中心部を抜けると住居は田や畑の間にまばらにあって、アスファルトは見るからに古くて、いくつか立っている個人商店や飲食店を示す錆びたり剥げたりした看板が賑やかしになるどころか寂しさを増幅させていた。 私の家は田園地帯のさらに向こうだ。山を切り開いた道を行かねばならぬ。山道といってもさすがに舗装はそこそこ綺麗にされているし、道幅もそれなりにあるし、ヘアピンカーブなんかもない。雨が降り続いただけでなく、風も強い日だった。道には木の枝葉が多く落ちていたし、竹が道のほうに傾いてせり出していたりもした。そういった道を3kmほど行き、家に着いた。 我が家では2019年秋ごろから犬を飼い始めていたが、2年近く寄り付かなかった私は異質で怪しい存在と見做されたようで、警戒されかなり吠えられた。私の滞在中、近所のおばあさんが一度訪ねてきたがそのときも吠えまくっていた。失礼...

【書評】本と鍵の季節

  本と鍵の季節 米澤穂信 高校二年で図書委員の堀川が同じ図書委員で知り合った松倉とともに放課後の図書室に持ち込まれる謎を解こうと挑む、という形式。 六篇の短編となっているが、すべて地続きになっていて、(もう一度読むとしたら)それぞれの謎解きを通して現れる登場人物、とりわけ堀川と松倉の人柄には一層注目したいところ。 タイトルが示す通り、この物語では本と鍵が象徴的なものとなっている。たとえば、堀川と松倉が同じ図書委員という縁で知り合った点は、本によって二人は結びつけられたと言えるだろう(ふたりとも本はそれなりに読むものの読書家というほどではないらしいが)。また、二人が関わる謎にも本と鍵が関わってくるものが多い。 (以下、ネタバレというほどではないがこの本に興味を持った人にとっては興醒めになるかもしれないため注意) 「鍵」について少しこじつけ的な深読みをしてみると、これはもちろん物理的に金庫だとかロッカーの鍵を開けるという意味でも物語に関わってくるが、人のプライベートに踏み込むのも鍵を開けるようなものかもしれないと思えてくる。謎が持ち込まれるということはそれについて悩んでいる人がいるということだ。しかしながら、その謎を誰かに解いてほしいと思う一方で、それを解くために必要なピースとして個人の事情を詳らかに明かすことには抵抗があるという人も少なくない。また、金庫の中にあるものや、謎解きの手がかりとなる物はなにかとても"個人的な"物であるかもしれない。少しずつ答えに近づくなかで、依頼者の隠している個人の事情に勘付いたときに「鍵」を開けるのか否か。そういう視点を持ってもう一度読んで見るのもいいかもしれない。 "爽やかでほんのりビター"と宣伝される本書であるが、私個人としてはほんのりビターどころかかなりビターだと感じた。同じ著者の「ボトルネック」や「追想五断章」が好きという人は好意的に読めるのではないかと思う。

【書評】小説読解入門

イメージ
  小説読解入門 廣野由美子著 19世紀英国の地方都市を舞台としたジョージ・エリオットの傑作長編『ミドルマーチ』を実例に、「小説技法篇」で作家の用いるテクニックを解説。続く「小説読解篇」では、歴史や宗教、科学、芸術などの<教養>を深める11の着眼点で、小説の愉しみ方を伝授する。(帯の宣伝文より) ミドルマーチは「十九世紀を舞台にさまざまな人間ドラマが絡み合う社会を描いた絵巻のような作品」であり、地方都市ミドルマーチ近郊に住むさまざまな社会階級の人の視点を通して、(「小説技法篇」でいうところの"パノラマ"を多分に取り入れて)社会の動きや人々の生活というものを描いている。私もこれを読んだことはないのだが、本書ではあらすじがあるので、読んだことのない人も安心して手に取ってほしい。 「小説技法篇」で印象的だったのは「ミステリー/サスペンス/サプライズ」について言及している部分だ。ここでは「小説の諸相」という1927年にケンブリッジ大学のトリニティ・カレッジでエドワード・モーガン・フォースターが行った講義をまとめた小説論集(wikipediaより)を引きながらストーリーとプロットの違いを説明している。 ストーリーとは、出来事を起こった「時間順」に並べた物語内容。他方、プロットとは、物語が語られる順に出来事を再編成したものを指す。 私たちはストーリーならば「それから?」と尋ね、プロットならば「なぜ?」と問う。 そして、 フォースターによれば、優れた小説とは、たんに次がどうなるかという読者の原始的な好奇心のみを刺激する「ストーリー」ではなく、出来事の配列を組み替えることによって深い意味合いを与え、読者に知性と記憶力を要求する高度な「プロット」の形態を備えたものである。 としている。 こうして説明されてみれば、自分の読書経験に照らしてもこれは非常に納得のいく説明でわかりやすいのだが、このように意識して小説を読んだことがあまりなかったため、感じるところは多かった。優れた小説というのはプロットの形態を備えている以上、ジャンルを問わず「ミステリー性」・「サスペンス性」を帯びている。こういった視点を持って意識的に小説を読んでいくとこれまでとは違った楽しみを見つけることができるのではないかと思った。 「小説読解篇」では「心理」のパートが特に印象的だった。この...

街録ch 上祐史浩氏

 街録ch というYouTubeチャンネルがある。一見したところ、会議室などではなく、あえて街頭を選んで有名人やアウトロー界隈の関係者にインタビューをする、というチャンネルのようで、それなりのチャンネル登録者と再生数をもつようだった。 そのチャンネルの動画に先日、オウム真理教元幹部である上祐史浩氏に取材をしたものがアップロードされており、興味深く拝見した。 このブログを見るような人には説明は不要かもしれないが、簡単に説明をしておく。彼は教団の幹部クラスであったが、教団が松本サリン事件や地下鉄サリン事件などの重大事件を起こす以前からロシア支部の支部長としてロシアに出向していたことから重大犯罪事件では起訴されず、懲役3年の実刑判決を受け収監、1999年末に出所。その後はオウム真理教の後継団体である「アレフ」の代表を務めたのち、団体内の派閥対立により別団体として独立し、現在「ひかりの輪」の代表を務めている。 動画を見ていてすぐ気づくのが、彼は取材者の質問に対して長く考えこむことなく、すぐに返答している点であり、また、過去の出来事について語るとき「あれは○年の○月から○月にかけてのことで、その○年前には~があったように~~という社会情勢だったことから」といった風に、時系列が彼の頭のなかでかなり整理されているような印象を受けた。もちろん取材を受けるに際して事前に何かしらの方法で記録を振り返ったりしていた可能性もあるし、証言のそれぞれについて私が文献等にあたって検証しているわけではないから正確性についてはある程度割り引いて考える必要はあるかもしれないが、それでも私のような凡俗にとっては彼の受け答えははっきり言って普通ではなかった。 動画は、生い立ち~入信~逮捕~その後の活動といったように概ね時系列に沿って話を展開する形となっているが、生い立ち~逮捕にかけての感想は省略する。 現在の活動について。現在、彼は宗教団体ひかりの輪の代表を務めており、活動内容は「仏教哲学や心理学を学ぶセミナーを開講したり、寺社仏閣などのパワースポットなどを巡るツアーの主催」などで、有り体に言えば「サークルのようなもの」だと彼は語る(中立性を期すために記述するが、Wikipediaではひかりの輪について「公安調査庁は、麻原の影響力を払拭したかのように装うオウム真理教の後継団体であり、麻原の死刑が執...