2010年代SF傑作選1
10作家の作品を収録した、2010年代ベストSFアンソロジー。特に印象的だったのは「allo, toi, toi」(長谷敏司 作)。以下ネタバレ要素しかないあらすじと感想。
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時は2090年。科学の発展により、人工的な"疑似神経"を脳内に構成し、感覚や経験といったものを人工的に脳内に生み出すことができるようになっていた。そんな、疑似神経分野の最大手であるニューロロジカル社は刑務所に収監されている囚人を被検体としてとある実証実験を行おうとしていた。
被検体の名は、ダニエル・チャップマン。罪状は児童に対する性的虐待および殺人。懲役100年。実験の目的は疑似神経を用いてチャップマンの脳内に"アニマ"をつくり、その作用の結果として彼の小児性愛を矯正すること。アニマとの対話を通じて、彼の「好き嫌い」を分類し、認識させるのだ。ニューロロジカル社の研究者であるリチャードに言わせれば、
「子どもは、性的な関係を持つ対象としては、本来刺激が大きいわけではない。子どもにとっておとなとの性行為が苦痛であるように、おとなにとっても、身体が未熟で性行為の経験もない子どもとの性的関係で、強い刺激を受けることは難しいはずだ。つまり、子どもを性的対象とする快楽の強さは、隠されたものである背徳感や、社会が子どもに付加した良いイメージに依存している。この時代に、君たちが子どもに性欲を向ける理由は、肉体的に満たされる予感ではなく、社会が与えた『好き』への誤解だということだ」
つまり、彼が言うのは、保護すべき対象として子どもに向かう正の感情や、社会的に持たれる子どもに関する良いイメージ(純真さ、無垢さなど)などが混乱して、性欲にもつながる 『好き』として認識されているのであり、そういった『好き嫌い』の感情を整理していくことで小児性愛は矯正されるというビジョンだ。
チャップマンの脳内に構成されたアニマは少女のイメージ。研究者が技術を以ってそう仕込んだのではなく、チャップマンが少女を愛好していることに応答して、彼の脳が自ら形成したものらしい。彼には少女の声が聞こえるようになり、朧気ながら姿も見えるようになる。
彼がアニマとの対話を続けていくなか、彼が刑務所のなかで頻繁にリンチにあっていることが研究の継続上の問題となる(貴重な被検体が実験の中途で死んでしまうのは研究上問題である)。そこで彼の脳には新たな回路が導入され、非常時の連絡方法として彼の思考が言葉として研究者側に伝えられるようになった。
アニマとの対話をさらに続け、チャップマンの心にも変化が見えてくる。アニマの問いかけに答える形で、彼がメグという少女を殺したときの思考や感情が整理されていく。
子どもへの性的欲求はなくならなくても、その網から完全に自由にならなくても、嗜好と行動は別物だ。女性が男性に対してセックスの動機(モチベーション)を掻き立てることと、実際に強姦事件が起こることとの間には、超えてはならない違いがある。
チャップマンはそこを「だから」という原因と結果で結んでしまった。致命的な誤読だ。自分の「好き」をより分けて最後にたどり着いたのは、手を出したかどうかという決定的な差だった。
ようやく肌で感じた。
そうして自分は性犯罪者になってしまったという現実を受け止めつつ、アニマとの対話を通じて彼の気持ちは上向いていく。「昨日までの愛から一歩外に出るためには、今日、これまでにしなかったことをすることだ」と、刑務作業を終え、 自分に暴力を振るう主犯であるエヴァンスに「allo(こんにちは)」とあいさつをする。…………そして、彼はエヴァンスに殴り倒される。
リチャードの端末に緊急の警告ランプが灯り、リンチに遭う最中のチャップマンの思考が表示される。
<痛い痛い痛い(死んでしまう/助けてほしい)痛い痛いーーーーーーーー >
<こんなことになったのは怪物だからだ俺は怪物で違和感で排除されるべきものなんだ>
<俺が好きなものを整理できなかったからこいつらの嫌いだってそうだやっぱりことばが間違いのもとだ>
<まちがいの元は好き嫌いだ好き嫌いは動機であって複雑なものを正しく作ることに向いていない好きは男に子育てをさせたいのに小児性愛者を作るくらい狙いがついていない>
そしてチャップマンは絶命する。
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"好き"は男に子育てをさせたいのに小児性愛者を作るくらい狙いがついていない、というのは重要な指摘であるように思える。「狙いがついていない」という言い回しは非常に胸にストンと落ちる感じがする。
実際に小児性愛者の脳の活動がどうなっているとかそういうことはわからないが、私たちの脳は、好き嫌い(快不快)について説明しすぎるきらいがあるのかもしれない。本文の例をとれば、「神経にとっては『ケーキが甘いから好きだ』ではなく、『ケーキは好きだ』『ケーキは甘い』という別の問題」という話だ。私たちは快不快に対して、後付けで理由や原因をラベリングをしていて、そのラベリングは的外れ(狙いがついていない)なことも多いのだろう。
誰だってこのラベリングを誤って"違和感で排除されるべきもの"になりうる。だからこそ、手を出したかどうかが決定的な差であり、チャップマンは超えてはならない一線を超えてしまった。そして彼は「刑務所内カースト最下層の、性犯罪者チャップマンという卑劣漢への嫌悪感」をモティベーションとして一線を超えてしまったエヴァンス(まあ、重犯罪者である時点で一線は超えているのだが)によって嬲り殺されてしまった。
救いのない話ではあるが、それゆえに「やっぱりことばが間違いのもとだ」「まちがいの元は好き嫌いだ」という、チャップマンの死に際の思考が強く、虚しく、響く。
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