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4月, 2021の投稿を表示しています

猜疑心は罪

普段あまり人に言えないようなことを書いた。こういうことは誰にでもあるのかもしれないし、逆にこういうことを考えている人はあまりいないのかもしれない。読んで思ったことがあれば伝えてくれると嬉しい。 ============================ 10代の半ばごろ、「人の思考は深層心理(?)や、他者の何気ない一言から無意識のうちに影響を受けている(言葉は無意識の思考から発されることがある)」、「人は自分の見たいものだけを見ようとし、信じたいものだけを信じようとする」ということをはっきりと認識して以来、自分の思うことに対して精神分析紛いのことをするのが癖になってしまっていた。 たとえば、知人と喧嘩したとする。そして、まず 「こんな喧嘩をしてしまったのは7:3で相手の方に非がある」 と考えたとする。 それに対して、 「しかし、自分を正当化するほうに流されてしまうのが人というもの、本当は5:5くらいなんじゃないか」 と考える。 さらにこれに対して、 「本当は『自分が譲歩して大人の対応をしてやった』と内心で優越感に浸りたいのではないか」 と考えたりする。 「優越感に浸りたいのではないか」はさすがに捻くれすぎだと自分でも思うが例だから許してほしい。これのやっかいなところは、論点を少しずつずらしていけば思考が延々とループするところだ。上の例であればさらに、 「『優越感に浸りたいのではないか』という疑いは、自罰的な自分に酔っていることから生じているのではないか」 →「では、やはり相手に非があるのか、いやそれは自分に甘すぎではないか?」 などというふうに続いていく。 これをする以前から、自分には思考が極端になる部分はあったかもしれないが、僕は疑いが行き過ぎて思い浮かんだ自分の考えに対して、まず否定から入るのが癖になってしまっていた。こんなことをしているから、自分が考えていること、見ているものがわからなくなってしまった。僕の愚かしく、最低だったところはこれを自分の思考だけでなく、他人にまで拡張しようとしたところだ。 相手の言葉の裏にはどういう意図があるのか、どんな要因が相手にそう言わせたのかを疑ってかかるようになっていた。しかも、「相手も僕の言葉から何かを読み取ろうとしているのかもしれない」とまで考えて、自分に対しても更に強く疑いの目を向けたりした。 他人の考えを...

ペ・リーグ公式戦 廃VSペヤング獄激辛

 【戦評】 初回から果敢に攻めたチーム廃が辛くも勝利を収めた。 ゲームは一回の表から大きく動いた。チーム廃は「いただきます」の号令とともに猛攻撃を仕掛け、3回までに3分の2を腹の中に収めた。その後5回まで膠着状態が続き、ペヤング獄激辛が仕掛けたのは6回。喉と舌を狙った攻めで廃氏に大きなダメージを与えた。チーム廃はたまらず、守護神の生卵選手を慌てて投入。緊急登板にも関わらず生卵選手は安定したパフォーマンスを発揮し、9回裏まで投げなんとか逃げ切った。 【監督インタビュー】 ────初回から猛攻撃。あれは作戦だったのか 前回、ペヤング獄激辛カレー戦ではこちらから仕掛ける前に、猛攻撃をくらい、早い段階でゲームが決まってしまった。今回は積極的に仕掛けようと決めていた。 ────中盤の膠着状態から生卵選手投入までどんな気持ちで戦況を見ていたか 序盤ほどの猛攻撃ができないのは想定の範囲内だったので焦りなどはなかったが、流れを読み誤ると一気に相手のペースになると考えていた。集中してタイミングを見極めていた。 ────生卵選手は緊急登板にも関わらず踏ん張った 万全の状態で登板させてあげられなかったのは申し訳なく思う。それでもなんとか踏ん張ってパフォーマンスを発揮してくれたことに感謝したい。 ────次戦に向けて 今日は一応序盤の作戦が功を奏したが、もう少し畳み掛けられたんじゃないかと思う。次は相手に付け入る隙を与えないようなゲーム運びができたら。

さすがに成長してるよね?

 この前、昔好きだった音楽を聴いていた。いつの曲だっただろうと思って見てみると2015-2017年くらいのものが多かった。2017年とか正直ついこの間という感覚がしてしまうが、今は2021年、もう4年前だ。 「え!?あれからもう6年とか5年経ってるのか!」と驚いた。ついでに、そのころ公開された映画、そのころ見ていたアニメ、そしてそのころ読んでいた漫画なども思い浮かべてみた。「マジかよ~。あれがもうそんなに昔のことなのか~」とますます強く思った。 懐かしく思う反面、時の流れに比べて自分の進歩のなさに驚いた。今だって、桜が咲いたと思っていれば、青葉が茂っている。青葉が茂ったと思うとすぐ紫陽花の季節になるのだろう。そしてそのうち真夏が来て、気づけば雪が降ったりしているのだろう。この数年間、自分は本当にみんなと同じだけの時間を過ごしてきたのだろうか。僕だけ2/3とか1/2とかに圧縮されてたとかそういうことはないのだろうか。けっこう本気でそういうことを考えてしまう。時間に置いていかれている。 よく過去と他人は変えられない、未来と自分は変えられる、などというが、過去に執着し、傲慢にも他人を変えようとするのが人間というもので。というか、人間にはそういう性質があるからこそ、そういう言葉があるわけで。 まあ、さすがにこの数年何一つ進歩していないということはさすがにないと思いたい。それまでが成長を測りやすかった、あるいはこの数年測りにくかったというだけで。 長い人生を生きていれば、こういう時期の数年くらいあって当然なのではないかと。 なんて言っていたら10年後、20年後、過去への執着が今と比にならないくらい増してそうな気がしないでもない。 以上

因果応報

 因果応報という言葉がある。 僕はこの言葉が好きだ。現在の幸不幸には過去の善行悪行が影響しており、未来の幸不幸には現在の善行悪行が作用する。現状や将来生じる結果について偶然や運といった話で片付けずに、原因を求める姿勢が好きだ。 この考えで言えば、自分は今、過去の悪行の報いを受けているのかもしれない。数年前と比べると幸福度は正直下がっているし、具体的なエピソードはないけれど、以前の自分は人の痛みに鈍感だったり不誠実だったりしたなと感じる。 反省と改善をして、近い将来、いい意味での"因果応報"となったと思えるようにしたい。

日食なつこの拝啓、あをいめだまの小いぬ

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 ラジオ番組の紹介です。 日食なつこさんというシンガーソングライターの方がいまして、その人がパーソナリティを務めている番組です。日食さんが岩手県花巻市出身ということで、東北地方のいくつかのFM局で放送されているようです。 僕が番組を聴き始めたのは今年の2月末です。中学生のときにラジオで流れていた「エピゴウネ」という曲が耳に残っていて、以来それなりに気にしていたアーティストではありましたが、なぜか「ラジオ番組を持っていないだろうか?」ということは全く考えませんでした。不思議ですね。 番組の内容といえば、リスナーからのメッセージを読んだり歌を流したりとよくあるものですが、日食さんの気取らない、着飾らない話し方がすごく素敵だなと思います。先週の放送では「番組5周年おめでとうございます。飾らない雰囲気と言葉遣いが大好きです」というようなメッセージに対して「5周年ですけど、喋りが上手くなりすぎないようにというか…こなれてしまうのもよくない気がするので、これからもこんな感じでやっていこうと思います」と話していたのがなんか良かったです。 「四十路」「音楽のすゝめ」がかっこいいです。

なぜ本を読む?

 最近また本をよく読むようになりました。あまり読んでいない時期を含めて考えても、平均的な大学生と比べればそれなりに本をよく読むほうだったと思います。 なぜ本を読んでいたかというと、ひとつはけっこう受動的な理由で、友だちもおらずお金もない僕にとっては100円とか200円の古本が娯楽としてかなりコストパフォーマンスがよかったからだと思います。今の時代、時間を潰すだけならネットサーフィンとかスマホゲームもあるけど、さすがにそればっかりやってたら人間が腐るかな、くらいの考えもたぶんありました。 それから、やっぱり単純に本が好きなんですよね。小学生のころは年間100冊くらいは読んでたと思います(もっとも、小学生が読むような本はページ数や文字数が大して多くはないのですが)。中学生のころは確か年間40冊くらいだったでしょうか。高校生になると部活に受験にと忙しくてあまり読めませんでしたけど。 本が好き、ではその理由は?と尋ねられると明確な答えは返せませんが、本の醍醐味は?と考えると少しは語れそうな気がします。それは、一言で言えば"引用"することだと思います。普段生活する中で、出来事に対する心の動きは確かにあるけれどそれをうまく言語化することが難しいということがあります。そんなとき、印象に残った文章や台詞が、うまく伝える手助け、より相手の心を動かす手助けをしてくれる気がします。面白い台詞を覚えていれば、会話の中で気の利いたことを言える可能性もあります。引用といえば、漢籍や和歌の引用なんかも知的でかっこいいですね。 本を読んでいると、そう頻繁にあるわけではありませんが、"魂が震えるような"文に出会うことがあります。こんな風に、自分の文章が誰かの魂を震わせることができたら…と僕は思います。直接引用するわけではありませんが、「どこかに魂を震わせるためのヒントはないだろうか」ということも頭の片隅に置きつつ、これからも本を読んでいくでしょう。 このブログは文を書くトレーニングの一環という位置づけでもあります。いつか魂を震わせてみせる。

巴里マカロンの謎

小市民シリーズで最も新しいやつだけど、話の中の時系列的には秋期限定栗きんとん事件よりも前。 春期限定いちごタルト事件、夏期限定トロピカルパフェ事件、秋期限定栗きんとん事件ほど一貫していないというか、小鳩くんたちの謎解きアラカルトという感じで、小鳩くんと小佐内さんの関係性の変化とかそういうのはあまりなかった。でも各話の根っこにあるものが重たい。 ・中学生の女の子の父親の不倫 ・中学校内での暴力事件の疑惑 ・部活動内のギスギスした人間関係 ・誰かの企てで学校から停学処分を食らう ってのが謎解きに関わってきて「重たいな~」と思いました。 どうでもいいけど小鳩くんたちは高校生にしてはけっこうお金持ってるよなあと思いました。

ヤマハイノベーションロードに行きました。

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 昨日、ヤマハイノベーションロードに行きました。 このご時世なのに県を跨いで移動してごめん。 要するにヤマハの企業ミュージアムですね。 楽器がたくさんあって、試奏できるものもけっこうあってすごかったです。 僕は楽器や音楽を知らないのでできませんでしたが、ほかの来場者はけっこう試奏していて自分が場違いみたいで恥ずかしかったです。 とはいえ、そんな自分にとってもすごく面白かったです。楽器を作る過程とか、多用な事業を手掛けるようになった経緯とかを知ることができて面白かったです。自動演奏の楽器となんかすごいスピーカーを使ったバーチャルステージの迫力がすごかったです。 見学料は無料ですが、予約が必要なので注意してください。 浜松駅から徒歩で20分強と、バスを使うか絶妙に迷う距離で、結局歩くことにしたのですがけっこう疲れました。 あと、浜松市の中心部には初めて行ったのですが、なんかいい雰囲気の街だなと思いました。

タイトル未定

 こんなタグもそういえばあったよね、という。 友だちもいないし、モヤモヤを解消する引き出しはそれなりに持っていると自負しているが、なんやかんやで結局、人に相談するのが一番即効性がある。話すことで思考が整理されるし、無根拠でも「大丈夫」って言われたら気持ちは楽になる。「適当に『大丈夫』って言われても腹立つわ!」という考え方もあるかもしれないけど、案外そうでもないと思う。たぶん。 ---------- Q1.あなたは困ったとき、すぐ人に頼ることができますか? はい →やったね!楽しいキャンパスライフ いいえ →おしまいです ----------- Twitterで「楽しい大学生活フローチャート」と称してこんなツイートがあったけどけっこう的を射ていると思う。僕は臆病というか引っ込み思案な性格が災いして「いいえ」を選ぶ側になってしまったわけだが。でも、なにかに困ったとき、自分一人でそれなりに凌いできたことはほんの少しくらい褒められてもいいのではないかと思う。

秋期限定栗きんとん事件

割とネタバレ要素強めかもしれません。 先週末、秋期限定栗きんとん事件 の上下巻を読みました。「春期限定いちごタルト事件」、「夏期限定トロピカルパフェ事件」を読んでから少し間が空いてしまいました。 小鳩くんはそれなりに楽しく高校生活を過ごしたようでよかったです。一年以上の決別を経て、小佐内さんとも自分たちは互いを必要としていると確認した様子。そしてなにより、「小市民」のスローガンももう必要ないということを確認した!ということで合ってるんですよね? 『ぼくたちが小市民を名乗るのは、本来的に自意識過剰なことだ。』 「春期限定~」や「夏期限定~」を読んで「僕もいつか小市民の星を掴みたい。」なんて思った自分に、思いがけずナイフが飛んできました。 まわりと折り合いをつけるため、孤立しないために「小市民」のスローガンを掲げていたものの、「自分たちは飛び抜けて賢いわけではないけど全然無能というわけでもない」ということを(?)わかってくれるひとがたってひとりそばにいれば充分だという結論に達した、という感じだと想います。おそらく。 古典部シリーズは日常に潜む謎を解くって感じですけど、小市民シリーズは割と犯罪らしい犯罪が起こってそれに関わる謎解きもしますね。僕だったらどんな形であれ犯罪に関わるのは御免ですけど、誘拐や放火といった犯罪の真相に近づける小鳩くんはやっぱり小市民ではないよなあと思いました。

空気が淀む。

 6畳のアパートに住んでいる。空気が淀む。 この部屋には自分以外誰も上がり込むことはない。誰も新しい空気を持ち込まない。 私は、外では辛いことがあっても、悲しいことがあってもいつも我慢する。我慢の結果、いつも憎悪や悲哀を抱えて帰宅する。 憎悪や悲哀は私から滲み出し、澱のようにゆっくりと積もる。誰も新しい空気を持ち込まないから、風を吹かせないから、それは静かに、しかし確実に積もってゆく。 私から滲み出した憎悪や悲哀がいつか私自身を飲み込み、押し潰してしまいはしないだろうか。もしかするとこんな風にして人は狂っていくんじゃないか。そう思う。

そもそも日本人はセロトニントランスポーター遺伝子がどうのこうの

 雨の日は嫌いではないが、ただでさえ道楽の少なく出不精な自分をますます籠もらせる。とはいえ、昨日は外で過ごす時間が長かったから全体的にこの週末はいい過ごし方をしたと思える。 昨日は朝8時半くらいにアラームを止め、そこから半睡半醒で10時くらいまでやり過ごした。そこからkindleで買った本を読むうちに12時半くらいになり、外へ出た。まず、厳選した本を売りに書店へ行った。発刊からかなり経過した本も多かったが、牛丼一杯分くらいの売値にはなった。そして実際、牛丼屋に入った。精算の際に、近くに座っていた爺さんにジロジロ睨みつけられたのが不快だった。それから、公園に行ってベンチでまたkindle本を読んだ。公園には子連れの家族や、ペットの散歩の老夫婦などが多かった。本に少し疲れて公園にいる人たちを見ていると、「自分もいつかあんな風になれだろうか」などと余計なことを考えてしまい、努めて本に集中することにした。読み始めたころに比べれば少し肌寒くなっていたが、陽が沈む前に読み終えることができてよかった。 今日は7時くらいに起きてぼーっとしながらしばらくラジオを聞いていた。年度始めでタイムテーブルが大きく変わっていたりもして、改めて新しい季節なんだなと感じた。晴れていれば今日も軽く外出しようかと考えていたが、昼前くらいから本格的に雨が降り始め、断念した。午後は手持ち無沙汰気味だった。ラジオでプロ野球中継を聞いたり、スマホゲームをしたり。こういうときが一番危険で、なんとなく考えを巡らすうちに、無意味に過去を悔いたり、未来を恐れたりすることにつながる。実際そうなった。しかし、過去を悔いてもそれを変えられはしないし、未来に関しても、これまでそれなりにやってきたわけだから悲観することはないのだ。悠長なことは言ってられないかもしれないが、過度に焦ることもない。適度な焦りと計画を携えて、口笛でも吹きながらやっていこうじゃないか。 と言って、4月第一週を締めくくりたい。

石井一久×木佐彩子 省エネ夫婦

スポーツ選手などのインタビュー記事とかを読むのが好きという話を「自分との約束を守る 佐々木朗希」( https://taihaikuukyo.blogspot.com/2021/02/blog-post_17.html )でしました。今回はプロ野球楽天・石井一久監督の話。とはいっても監督就任のずっと以前、2015年ごろのインタビューの話。 僕は楽天ファンですが、正直2018年のGM就任からずっと、どちらかというと疑いの目で見ていました。真意が読めないような発言が多く、また、たまにいい感じのことを言ってもなんだか胡散臭く感じていました。しかし、最近は見方が変わってきました。 今回の記事は妻の木佐彩子さんとの夫婦対談。 私たち、省エネ夫婦だと思う(笑) 石井一久さん×木佐彩子さん( https://www.asahi.com/and_w/20151126/14315/ ) 2015年11月の記事。以下記事の抜粋。 夫は2006年、ヤクルトに復帰、西武を経て、2013年に現役引退。吉本興業に「契約社員」として入社という選択が話題となった。 夫 僕には、 自分だけよければという考えはないんです。人と一緒にハッピーにならないと意味がない。 このチームで優勝したいと思ったし、吉本のスポーツマネジメントを一流のセクションにしたいと思ってます。 これを読んでから、監督就任会見でのコメントや、東日本大震災から10年を迎えての「東北にゆかりがない私がGMとなり、震災から10年という節目の年に楽天イーグルスの指揮を執らせていただくことになったのは『あの光景をもう一度東北の皆さんと分かち合いたい』と思ったからです。これは東北の皆さんと私の縁だと思っています。」( https://full-count.jp/2021/03/11/post1058188/ )というコメントもけっこう本気で言っているのかな、と思うようになりました。試合後会見などの発言からも選手への愛情だったり、ファンへの想いが感じられるような気もします。今年の楽天には期待したいです。いちファンとしては。 あとは単純に記事全般として面白いなと思ったし、「自分だけよければという考えはない、人と一緒にハッピーにならないと意味がない」という考え方は自分も大事にしたいです。上に挙げたもの以外にも「ファンや選手・スタッフみんなと優勝の喜び...