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東京バカッ花

 室井滋のエッセイ、「東京バカッ花」を読んだ。 以前「室井滋のエッセイが面白い」と誰かから聞いて、それをたまたま思い出したため古本コーナーで100円だったものを買った。 室井滋さん、早稲田大学社会科学部7年中退というなかなかイカした経歴の持ち主。この本は故郷を飛び出してやってきた東京での大学在学中のエピソードを盛り込んでいる。怪しいバイトの話、奇人・変人な先輩や友人の話、警察の取り調べを受けた話などを面白おかしく書いている。 特に印象深かったのはあとがきだった。以下、一部抜粋 「東京でひと花咲かせてやる」 田舎から新しい生活の場を求めて初めて東京へやってくる人には、誰にも上京の夢とドラマがある。(中略) 私はお金持ちになりたいとか(略)、特別な野望や大志をいだいて上京したクチではなかった。 それでも何か……言葉にならない……何か、私なりのひと花を咲かせたいと希望に燃えていたに違いない。 僕が今こうして生活しているのは東京ではないけれど、地元から遠く離れた地にいる。地元にも大学はある。なんなら進学せずに就職したってよかった。それなのにここにいるのは、何か掴みたいものがあったからのはずだ。 しばらくそんなもののことは忘れてしまっていた僕はもう田舎に帰ってしまえばいいのかもしれないとも思ったけれど、言葉にならないぼんやりとした何かがまだある気もする。 自分を見つめ直してもう少し頑張ってみようと思えた一冊だった。 https://www.amazon.co.jp/dp/B076VM5395/ref=dp-kindle-redirect?_encoding=UTF8&btkr=1

歩く

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 とにかく暇だった。 アレ のせいで帰省を自粛したため、やることが全然ない。まあ、実家にいても大掃除をする以外はほとんどゴロゴロしているだけなのだが。こんなことなら年末年始の短期バイトでもすればよかった。 そんなわけでとりあえず歩いてみることにした。 歩くといえば田舎者あるあるに「都会人の歩くスピードに驚く」というものがある。僕も生来歩くのがゆっくりで、今日も自分より40歳以上は年上であろう、頭髪が真っ白のおばあさんに追い越された。自分のなかでは早歩きをしていたのに、追い越された。 ふらふらとよそ見というかいろんなところを見回しながら歩いているのが田舎者というか、僕の特徴だ。この季節は椿だか山茶花だかがキレイで、生け垣があるようなところでは特にゆっくり歩いてしまっていた。 これは途中で見つけた乾電池の自動販売機(故障中)。たぶん珍しい。Nationalってのがもう時代を感じさせる。自販機といえばホットスナックの自動販売機は姿を消しつつあるという。完全になくなってしまう前に使って食べてみたい。故障中でなければこの乾電池の自動販売機も使ってみたかったのだが。 というわけで2時間と少しの間歩き続けてみた。10kmくらい日常的に歩いている人も少なくはないだろうが、運動不足の体にはけっこうきつかった。割と脚が棒になっていた。あと1時間くらいは頑張ればなんとか歩けただろうか。 帰りは電車を使ったため、最終的には12kmと少し歩いたことになった。いろんな発見があって結構楽しかった。いつかまた機会があればやってみたいかもしれない。とにかく疲れたので今日はよく眠れそうだ。

男なら・・

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 「男なら麻婆豆腐と炒飯はうまく作れ」 おばあちゃんがそう言っていた。もちろん嘘だ。 それでも麻婆豆腐と炒飯を作るときはなんだか燃える。麻婆豆腐も炒飯も簡単に調理できる"もと"が売られているけどそれは買わずに、麻婆豆腐は豆板醤とか甜麺醤とかを買って挽き肉と炒めるところから作っている。 というわけで今日も麻婆豆腐を頑張って作った。ちょっと汁気が多かったか。 ところで、最近は「男なら~」とか「男のくせに~」みたいな言い方は、好ましくないらしい。僕もどちらかと言うとナヨナヨしているほうだからそのほうがありがたいかもしれない。別にそういうことを言われて傷ついた経験もないが。それに「男らしさ」みたいなものへの憧れもないわけでもない。 もしかしたら過去に男らしい言動もしてきたかもしれないから、思い出せたらまたブログにでも書いてみよう。 以上

やっすい牛肉

 昨日と今日の晩は牛肉を食べた。 おそらく鮮度が落ちた米国産の牛肉。日が経っているのを誤魔化すためにタレに漬けてニンニクの芽も入れて売っているやつ。 以前、食べ物に関するドキュメンタリー番組を見て以来、輸入の牛肉はあまり買わないようにしているのだが、値段の誘惑に負けてしまうときもある。そもそも、牛丼チェーンには普通に行くし、そこまで厳格に控えているわけではない。 味がついていて、ニンニクの芽も入っているからパックから出してフライパンで炒めるだけでいいので調理のコストの点でもこいつは優秀なのだ。 炒めると脂がすごく出てくる。この脂がタレと絡んでとても美味いが、一度にたくさん食べようとすると胃もたれを起こしそうだ。 食べ終えてフライパンと食器を洗う。フライパンにとりあえず水を注ぐと、脂が固化していくのがわかる。これを見ると洗う気が失せる。ギットギトの脂に対抗するために洗剤をたくさん使う。こすってもこすっても脂のヌメッとした感じはなかなかなくならない。 食器洗いのコスト面ではこいつは優秀ではない。

Make Time Appを使おう

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約一年前の僕はある本( https://www.amazon.co.jp/dp/B07SD3F145/ref=cm_sw_r_tw_dp_x_h-.5Fb27Q1YBB )に出会って自分の生活を変えようとしていた。 ブログに残すくらいには熱量を持っていた( https://taihaikuukyo.blogspot.com/2019/11/blog-post.html )。 時間を無駄にせず、満足した日々を過ごせるようになるまでにはまだまだ道半ばであるが、今でもいろいろと模索している。 先日、久しぶりに著者らが運営しているウェブサイト( https://maketime.blog/ )を訪れてみると、今年の10月ごろにMake Time Appという著者らのノウハウと照らし合わせて作られたアプリがリリースされたようだった。 https://apps.apple.com/us/app/make-time-app/id1535796091 https://play.google.com/store/apps/details?id=blog.maketime.app 以上がそれであるが、日本語対応がされておらず、また、なんとか英語を読んで使っても意図があまり読めないような気がしたので僕が本と照らし合わせて簡単に解説していきたいと思う。 最初に起動すると以下のような画面が現れる。 このアプリは生産性を高めるためのアプリではなく、仕事や娯楽(※)の誘惑などがあるなかでいかに自分がやりたいこと(たとえば著者の一人は冒険小説を書きたいと思っていたのにそれができていなかったという)のための時間をつくるためのものであるということ、そしてそのステップは ・HIGHLIGHT(その日意識と向けて取り組みたいことの設定) ・LASER(設定した目標に取り組むための工夫) ・ENERGIZE(集中するために必要なエネルギーを確保する) ・REFLECT(その日の取り組みの評価) というサイクルからなる、みたいな説明になっている。 ※娯楽そのものを悪としているのではなく不本意に時間を奪われがちなのでそれをなんとかしようという話。 決まった時間になるとHIGHLIGHTとREFLECTをするよう通知してくれるので必要なら Turn on を選ぼう。 画面下はHightlight、Laser、Re...

幼き日のクリスマスの思い出

言うまでもないが今日12月24日はクリスマスイブである。幼い子をもつ全国のお父さんお母さんが、子どもにバレないようにコソコソと秘密裏に動く日である。そして明日の朝には子どもの枕元などにプレゼントが届けられ、子どもたちは大喜びする。この時期になるとよく「いつ頃までサンタクロースの存在を本気で信じていた?」なんて話をしたりしなかったり… 自分がいつまでサンタクロースを本気で信じていたかは記憶にないが、「朝起きたらプレゼントがあった!」というのは小学一年生までで、そして小学二年生でほしかったおもちゃを買ってもらって以来クリスマスプレゼントという名目で両親からなにかを貰ったことがないのは確かだ。僕がサンタクロースの存在を信じていないことを親が察してそういう形になったんじゃないかと思う。つまり、早ければ幼稚園児の年長ごろ、遅くとも小学二年生のころにはサンタクロースなんて信じていなかったのだろう。 その代わりというわけでもないだろうが、時期に関わらず、僕が本気で頼めば、両親はそれを買ってくれたし、いい親だとは思っている。もちろん、なんでもやたらめったらに買ってもらったわけではない。子どもながらに自分の家の家計の状況はそれなりに察してはいたし、スポーツ用品とか、図鑑などのちょっと値の張る本を年に3回くらいねだっていた記憶がある。そもそも物欲があまりなかったような気もする(し、今だって本気で手に入れたいモノなんてほとんどない)。 子どものころの僕はなんだか生意気なヤツで、親からクリスマスプレゼントを貰わなくなるのを大人への一つのステップだと思っていて、それを誇らしく思っていた節さえある。嫌な子どもだ。そんな僕が今は大人になりたくないと駄々をこねているのもまた面白い。 まあとにかく、日本では今やクリスマスイブというのは恋人たちがともに過ごす夜に成り代わっているが、欧米では家族と過ごす大切な日という認識が強いようだ。自分をここまで育ててくれた両親を思って過ごす夜にしようと思う。

小市民、ここに居り。

 春期限定いちごタルト事件 を読んだ。いわゆる「小市民シリーズ」の第一作。 僕のそもそもの夢というか目標も小市民然として淡々と生きていくことだったような気もする。 高い位についていなくても、発信力がなくても、メディアに取り上げられたりしなくても、小市民然としながら、それでも人格や技術に優れた人はたくさんいる。それを小市民の星と呼ぶのかもしれない。 人に賛美されることがすべてではない。名を売ることだけがすべてではない。小市民にも小市民の誇りがあるが、小市民であるが故にそれを人前に出すこともなく、淡々と小市民然として過ごす。それだって簡単なことではないし、成し遂げられたら素晴らしいことだと思う。 僕もいつか小市民の星を掴みたい。 インターネットとかSNSの発達で多くの人の生活や日常を覗き込むことができる今、僕たちはいつの間にか妬みとか羨みから発生する欲求ばかりに気を取られがちだ。でもそれに振り回されて自分の本来の欲求・目標を見失うのはとてももったいないことのような気がする。 「足るを知る」ということを心に留めつつ、努力していきたい。 こんなことを言っていると「小市民の負け惜しみ」だなんて思われるかもしれない。それでもいい。事実、僕は小市民なのだから。