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砂漠

 この数年間、前に進んではいたが僕が歩いてきたのは砂漠だった。 砂漠をひたすら突き進むのも夢があるが、それができるほど僕は強くなかった。 並の人間なのだから、本当は潤いが必要なのだ。 もっと早く気づいていたかもしれないが、方向転換するのが怖くて自分を騙していた。 でも、このまま砂漠を進み続けても干涸らびて骨になるだけだ。 僕はこれからオアシスを探しに行く。

青のボールペン優遇問題

 何か書類を書くとき、筆記具の指定が「黒か青のボールペン」となっていることがたまにあります。黒のボールペンだけでなくなぜ青も可なんでしょうか? 「青のボールペン 書類」と検索すると同じような疑問に答えるサイトがけっこう出てきます。どうやら昔万年筆を使っていたころの名残のようです。 以下、Wikipedia「万年筆 > 万年筆のインク > インクの種類と組成」より。 旧来、万年筆を使用してそれらの性質を必要とする公文書などを書き記す場合、化学反応によって紙に定着するタイプのブルーブラックインク(没食子インクの一種)が使われてきた。このインクはイオンの状態で鉄を含んでおり、これが酸化されて黒色の沈殿を生じる事によって紙に定着する。これの反応が進む様子はインクの色によって知ることができ、筆記直後には比較的青い色をしているものが、日にちが経って反応が進むと次第に黒ずんでくる。 しかし、文具メーカーとしては公文書には黒インクの使用を推奨するようなので黒を使おうと思いました。 https://www.zebra.co.jp/zebra/ball9.html (ゼブラ) https://www.pilot.co.jp/support/ballpen/post_19.html (パイロット)

死なないこと 楽しむこと 世界を知ること

 このワードをGoogle検索すると、村上龍のエッセイがトップに出てくると思います。 もともとは有名投資家のジム・ロジャーズが"人生で最も大事なこと"として発した言葉で、どうやら、これに感銘を受けた村上龍がエッセイの副題にしたり、小説中で使ったりしているようです。自分は「心はあなたのもとに」という小説を読んでいるときにこの言葉を知りました。 自分もこの言葉がけっこう好きです。この言葉の3つの要素はそれぞれ同格ではなく、もともとのジム・ロジャーズの発言に照らせば、優先順位を示しているようです。つまり、死なないことが人生の最優先事項です。 若者の自殺のニュースをよく見ます。政府にも孤独・孤立担当大臣なんて役職ができました。 自分は日本中の人に呼びかけることはできませんが、少なくともこのブログを読んだ人は死なないことを最優先事項に、楽しむことを二番目に、世界を知ることを三番目に置いて頑張ってください。

梅雨か夏か

 例年より随分早く梅雨入りしたというが、その梅雨はどこへ行ったのやら。6月上旬ながら暑い日が続きますね。 今朝ふと思い立って、今年もアロハシャツをポチりました。昔、近所のおじさん(とおじいさんの境目くらいの年齢の人)が夏の黄昏にアロハシャツを着てよく犬の散歩をしていて、アロハシャツが似合うおっさんに憧れています。 届いても梅雨明けが宣言されるまでは着るのを我慢していようと思います。季節を愛する人間なので。梅雨のうちは梅雨の気分を捨てたくないので。

何が言いたい??

 私は自分は中学生みたいだなとよく思う。 人はなぜ生きるのだろうかとか、生きている意味があるのだろうかとか、10代の半ばに誰の心にも一度は浮かび、そしてまもなく振り払われる雑念を、私だけはずっと振り払うことができずにいる。そういうことを考えて、目の前の問題とは向き合えずにいる。モラトリアムをまだまだ享受したい。 そんな中、同世代の多くが世に羽ばたいていく歳となり、親しかった人間が二人、中学校の教師になったことに因果めいたものを感じずにはいられない。 朝食を食べて歯を磨いているとき。洗濯物をハンガーにかけ干しているとき。消灯して布団にもぐってスマホを弄っているとき。人がまばらなホームで電車を待っているとき。そんな、ふとした瞬間に「彼らは今どうしているのだろう」と心に浮かび、そのたびに「そうか、私はまだ中学生で彼らはもう中学生を教える教師なのだ、どうしようもなく隔たってしまった」と思う。 もう2年近く彼らには会っていないが、次に会ったときに私は正気でいられるだろうかと考えてしまう。

5月の振り返り をしようとしたけどできなかった

5月は自分の薄っぺらいところが随所に出た。 成り行きに任せててもそれなりにやってこれたから、成り行きに任せるのが自分のなかで当たり前になっているというか、自分の意志が行動に介在することがあまりない。それもひとつの生き方だと考えてはいるけど、そういうことをやっているから薄っぺらいんだと思った。 でも、やっぱり、何が何でも実現したいことなんて別にない。そこそこ頑張ってさえいれば大抵の物事が、満足するとまではいかなくとも妥協できる結果に落ち着くと思ってしまっている。 正直言ってみんなこんなものだろうと思う。そりゃ、戦争のない世界、子どもたちが皆夢を持って生きていける世界になればいいよなとは思うけど、それは僕の守備範囲じゃない。もっと小さい規模で、「自分の周りの人を何かしら助けてあげられるくらいにはなっていたい」くらいのモチベーションで生きている。あまりにも漠然としているから、それに向かって「死ぬ気で頑張る」とは全然思えないし「そこそこ頑張る」くらいのテンションだけど。そもそも本気の出し方というものがもうわからなくなっているけど。 でもまあ、時と場合によってはこのこだわりのなさは長所になると思う。集団のなかに僕みたいなのが一人いたらあれをやらせたりこれをやらせたりでいろいろ便利でしょ、きっと。 「薄っぺらい」という話からこれだけ屁理屈をこね回すってのがそもそも薄っぺらいよなと思う。全然5月の振り返りになってないし。そんな自分も良しとできるだけのこだわりのなさ、適当さを維持していきたい。

激辛よさらば! 我が代表堂々完食す

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【ペヤング特派員二十八日急報】まるか食品ペヤングやきそばシリーズに属する「ペヤング獄激辛担々やきそば」を食す臨時昼食会はいよいよ二十八日午後零時二十分に、筆者を主催者とし異常の緊張裏に開会された。後衛は水、氷、生卵、マヨネーズと盛況である。まず筆者の「いただきます」との開会宣言あって後、獄激辛ソースをかけ、ソースを麺全体にまんべんなく絡める運びとなった。次いで我が代表こと筆者が麺を口に運んでいった。時に午前零時四十五分、かくて昼食は二十五分の長きにわたり、筆者は「ニラを入れたくらいの違いで坦々を名乗らないでほしい」と結び「ごちそうさま」をした。 =========== 獄激辛、獄激辛カレー、獄激辛坦々やきそばと獄激辛に挑んできましたが、初めて生卵の助けなしに完食することができました。前評判では獄激辛坦々やきそばは辛さは少しマシという話も聞いてはいましたが、そんなことはなく、口に入れて2、3分のうちに唾液、汗、鼻水、涙と顔の至るところから体液が漏れ出しました。しかし、生卵などのチートなしに完食したこと、水を飲む量もこれまでと比べて少なかったことを考えれば確かに辛さは少しマイルドになっていたのかもしれません。それでも、激辛好きでもない限り安易に挑戦しないほうがいいだろうと思います。対戦ありがとうございました。