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今ありて未来も扉を開く

 少しずつではあるが、桜が散っていた。地面に落ちたそれを拾い、腕を精一杯高く伸ばして上から落としてみた。花弁の面が水平になって空気の抵抗を強く受ける状態では確かに 5 cm/s くらいだなと思った。 そういえばセンバツも今日が準決勝だ。センバツといえば大会歌の「今ありて」がなかなかいい。下は歌詞の一部の抜粋。 新しい季節(とき)のはじめに 新しい人が集いて 頬そめる胸のたかぶり 声高な夢の語らい 踏みしめる土の饒舌 幾万の人の想い出 情熱は過ぎてロマンに 花ふぶく春に負けじと 明日からもう四月。最近陰鬱なことばかり書いていたが、新しい季節、花ふぶく春に負けじと頑張っていきたい。

3月の振り返り

 3月の振り返り。 2月に比べればブログのペースを取り戻せたという点ではよかったです。 そのほかは特に感想がありません。ぼーっと生きているのでいろいろなものを見落としていると思います。こうしているうちに綺麗なもの、面白いもの、楽しいものに気づけていないのかと思うととても悲しいです。 3月は別れのシーズンというかいろいろ切り替わる時期だから、過去のこと、未来のことを考えてしまってとても苦しくなりました。希望を持って一歩を踏み出したのにたどり着きたい場所にたどり着けなかったこと、飛び込んだ未知の世界に怯えて何もできなかったこと、自己評価を誤ったばかりに大失敗したこと、モラトリアムはいつか終わって何かしら道を選ばなければいけないということ、これからもこんな別れや喪失を何度も味わうであろうということ。 現在のことにフォーカスすると、同世代がどんどん大人になっていくことが悲しいです。僕だけ置いてけぼりにしないでほしいです。確かに中学や高校のころは楽しかったけれど、だからといってそのころに戻りたいというわけではないです。ただ、心の持ちようでそのころと同じように話したり、遊んだり、馬鹿やったりできるはずなのに、誰もそれを選択しないで、昔あんなにダサくてつまらないと思っていた大人色に染まっていくのが悲しいです。そして自分もそうなりつつあるのがわかるのが悲しいです。 「現実を見ろ」とか「大人になれ」という言葉はありますが、歳を重ねても夢や素朴な好奇心を大切にしている人はとても素敵だと思います。 以上

流れを変えてやりたい

 昨日、シン・エヴァンゲリオンを見てきました。内容にはあまり触れませんが、率直に、見に行ってよかったと思えました。泣きはしませんでしたけど、ゾクゾクする感じがしました。胸を打たれるというのはこういうことなのかと思いました。 というわけで、満足して帰宅したわけですが、気持ちが落ち着いてからは却って思考がマイナスのほうへと向かっていってしまいました。あのシンジくんが前に進んだのに自分は何をしているのだろう、このままでいいわけないだろ、でもどうしたらいいんだ、などなどマイナスの思考のループに陥ってしまいました。 ブログに陰鬱なことばかり書くのは嫌なのでこれくらいにしておきますが、なんというか、生きていて、生活というか人生に「流れ」ってあるじゃないですか。自分では今の流れを良しとはしたくなくて、流れを変えてやりたいけど、どうしたらいい流れを掴めるのかがわからないという状況。なんとか、なんとかしていい流れを掴んでいきたい。

祝 卒業

 大学を卒業しました。 この4年間、何をしてきたのか自分でもよくわかりません。川や湖に飛び込んで、全然うまく泳げなくて、ただ闇雲にもがいていたらとりあえず岸辺にたどり着きはした、という感覚。そしてこれからもうまく泳げず、闇雲にもがいて生きていくんだろうと思います。たどり着くべき場所もわからないうえ、泳ぐこともままならないのはとても苦しいことだと思います。 一般的に考えると、大学4年間は"大人"になっていく過程の最終盤の段階だと思います。自分の場合、これまで起こったいろいろなことを振り返ってみても、まだまだ大人にはほど遠いと感じます。 まず第一に、僕は大学に進学してから全然友だちがいません。高校までの同級生がそれぞれの進学先で新たに人との繋がりを築き上げていたり、大学で出会った、知り合い以上友だち未満くらいの人が幅広い交友を持っていたりするなか、僕は自分の殻に籠もって、世界を広げられずにいました。 一人でそれなりに頑張ってみた物事もありますが、それでは、何かを覚えたり、できることが表面的に増えたりしていても、心の成長という点では全く追いつけないような気がしています。 昔から自分が考えていた"大人"像との乖離からも自分は全然大人になんてなれていないのだと感じます。 大人は自分を律することができると思っていました。決めたことはしっかりやるものだと思っていました。今の自分は全然そんなことないです。自分との約束を破ってばかりです。自分を甘やかしてばかりです。 大人は他者への思いやりを持ち、誰かのために何かができるものだと思っていました。今の自分は全然そんなことないです。思いやりは一応あるかもしれませんが、何をするにも自分のことで精一杯です。誰かのために何かをしてあげられる状況にないです。こうして考えてみると、大人になるということがどういうことなのかそもそもわかりません。自分がハードルを高く設定していただけかもしれません。それでもやっぱり人のために何かできるようにはなりたいです。 大人に近づけたかもしれない点を強いて挙げるとすれば、以前よりも感謝の念をもつようになったことです。家族や地元の友人と離れてそのありがたみを知ることができました。4年間は苦しいことも多かったですが、それでも、やはりいい経験をしたと思えます。少なくとも高校を卒業して...

ワークマン 「しない経営」

 ENEOSプレゼンツあさナビ(ニッポン放送)の先週のゲストはワークマンの専務取締役の方だった。作業服のシェア一位、"機能性ウェア"として一般向けへの拡大も勢いに乗っている同社の経営についての話をしていた。 やはり印象的だったことは「しない経営」という方針の話だった。 第一に、社員にストレスをかけることを"しない"。納期やノルマを会社側から押し付けるようなことをせず、社員の自発性を促すようにしているとのこと。 第二に、ワークマンらしくないことを"しない"。ブランド的な付加価値はつけない、アパレル的なことをしない、機能性などといったワークマンらしさから逸脱しない。こういったことを大事にしているとのことだった。 第三に、価値を産まない無駄なことは"しない"。もともと無駄を省くということは大事にしていたそうだが、例えば、もともと社員同士の関係は良かったため、忘年会などの社内行事を極力廃止することにしたそうだ。この影響でパートの応募が5倍になったそうだ。 ほかにも、レジ締めを閉店後に行っていると無駄な残業につながったり、社員の帰宅時間が遅くなったりするということで、昼間のうちにレジの精算を行っているという話も印象的だった。 総合すると、社員にストレスをかけるようなことは価値を産まないのかなという感想を持った。

Q&A 恩田陸

 最近ブログ書けてませんね。有言不実行ですね。 先日読み終えた小説について。 恩田陸 Q&A ショッピングモールで火災警報器のブザーが鳴り、避難のために特定の経路やエスカレーターに人が殺到し、多くの人が死亡・負傷するという事故(事件?)が起こった。火災警報器が鳴ったことから当初は火災とされたが、そういった事実はなく、「何者かが有毒ガスを撒いた」という証言もあったが、事故後の調査で有毒な物質は検出されなかった。なぜこのような惨事が起こってしまったのか、Q&A形式の対話を通して真相に迫る、という話。 対話形式ということで地の文がほとんどないわけですが、それでいて、会話文から情景を違和感なく想像することができました。上から目線っぽい言い方になりますが、文が洗練されてるなと思いました。 事件についての対話を通して、現場にいた人たち(=証言者)の深層心理というか、日頃考えていることが炙り出されていくような感じも面白かったです。 肝心の事件の真相はというと、ぼんやりとしか読み取れなかったとはいえ、個人的にはちょっと興冷めでした。でも、全体的には本当に面白かったです。むしろ面白かったからこそ、「終盤どんな真相が明かされるんだろうか」と期待しすぎたんだと思います。

本捨てたほうがいいのか?

 本を捨てられないという話を以前したが、やはり捨てたほうがいいのではという気がしてきた。これから生きていく中で引っ越しは数回経験するだろう。その度に、あまり読み返しもしない本を整理して運ぶのがバカバカしくも思えてきた。死んだときにゴミとして残ってしまい片付ける人(業者か家族か)に迷惑をかけるのも嫌だ。 この悩みを解決するのが電子書籍だが、自分としては活字ものだとイマイチ内容に集中できないという問題がある。また、自分は電車などでの移動の際に本を読むこともあるのでバッテリーを気にしないで済むほうがありがたい。それに今まで買ってきた本は古本で安く手に入れたものも多いので電子書籍にするとコストの問題もある。何より、電子書籍はプラットフォーマーがサービスをやめてしまえば作品にアクセスできなくなるのは辛い(そう高頻度で読み返すわけでもないし、現実問題、たとえばKindleが今後十数年のうちにサービスを終了するとは考えにくいが。)。 みなさんこの辺りどうしてますか。