投稿

無.txt

 嫌なニュース、そしてそれに対する嫌な反応などが目に入ってしまう(自らわざわざ見に行っているという面も否定はできない)。私にとっては新型コロナウイルス感染症による社会の変化と東京オリンピックによってヒトのもつ獣性が浮き彫りになった感じがする。これらの出来事によって獣性が高まったというよりは、私が社会や世間と呼ばれるものに対してこれまで好意的なーー自分に厳しい言い方をするのならば、深みがなく軽薄なーー見方を持っていたというのが妥当だろう。自分をできた人間であるとは評さないが、倫理や道徳といったものに関心を持ち、自分の行動を俯瞰して見るように努めてはいたつもりだ。そして愚かにも、世の多くの人が同じような姿勢を持って規範ある社会をつくっているのだと信じ込んでいた。実際には、私が思っていた以上に人は獣性を剥き出しにして生きているようである。意識してか無意識にか、人は私の何倍何十倍も狡猾に生きている。このまま規範を大事に生きていても私は彼らに搾り取られ続け、気づいたときには何も残らなくなっているのだろう。そういうことなら。私も今まで信じていたルールを打ち捨てて、そちらと同じルールでやらせてもらう。大きく出遅れたぶん、同じルールで戦っても打ち勝っていくのは難しいのかもしれない。しかし、それでも、最後まで今の戦いを続け、骨の髄まで搾られることを想像すると、そこにも耐えていかなければならないと思う。もっともらしく飼い馴らされてきたが、噛み付いてやりたい。

 わたしが考えているのはね、人は事実に傷つけられるのか主観に傷つけられるのかって話ですよ。わたしの父が殺人を犯したとしましょう。そして誰かがこう言うわけです。「おい、殺人犯の息子!」あるいは「おい、クソ野郎の息子!」。父が殺人犯というのは事実ですし、わたしはその息子です。じゃあクソ野郎というのはどうか。仮に今わたしの父がほんとうに殺人を犯したらわたしはおそらく彼のことをクソ野郎と思うでしょう。しかしですよ?殺人犯だからといってクソ野郎だとは限らないという考えを持つ人もごくわずかかもしれませんがいるはずですよ。過去の人間社会、未来の人間社会だとその割合が多かった/多い可能性もあるわけです。人類全体で「殺人犯は皆クソ野郎である」というコンセンサスがとれていない以上それは事実とは言えないでしょう。「殺人犯の息子」と呼ばれるのと「クソ野郎の息子」と呼ばれるの、どちらがわたしを傷つけるでしょうか。人びとのなかにはさらに妄想を働かせてわたし自身を「クソ野郎」と呼んだりするのかもしれません。なにが言いたいのか自分でもわからなくなってきましたよ。要するにですね、主観に振り回されるのをやめたいわけです。ほかのみんなにも主観に振り回されないでほしいんです。 でも人の話を常に事実と主観に分けて聞くのって難しそうじゃないですか。きっと疲れます。思考力が鈍ってるときには主観と事実を混同するかもしれない。だとすればこういうのはどうでしょう。客観的事実なら日本語で喋ってよし。少しでも主観が入るような言葉は英語によって紡がれなければならない。もちろん子どもにはそれは強要しませんよ。15歳くらいからにしましょうか。いいでしょう?みんな必死で英語を勉強しますよ。これでみんなが望むように、日本人の英語力も飛躍的に向上するんじゃないですか。主観を発信するとき、いったん立ち止まって思考が介在するようになる。中学レベルの英語ができない残念な頭の方には主観の発信をやめてもらいましょうか。 I think this is a good way to improve English skill and communication skill of Japanese people.  skill に s をつけるべきかわかりませんね。あとof Japanese people じゃなくて for Ja...

糖尿病に気をつけねばならない

 リアルゴールドを一缶買うだけで、 Coke ON のスタンプが3つも貯まるなんて夢のような話だ。つまり、キャンペーンなどをまったく意識せずにCoke ON を利用していると15本の飲み物を買ってようやく1本無料クーポンがもらえるところを、飲料の種類はリアルゴールドに限定されてしまうものの、今に限って言えば5本買って1本無料クーポンを手に入れることができる。小学館万歳!!平和の祭典万歳!! 私はといえば、大した理由は見当たらないが、一昨日かその前日あたりから夜の消灯後なかなか寝付けずにいる。おかげで昨日はブラックコーヒーの260(?)ml缶を2缶買い、そのうえでモンスターエナジーM3(160ml缶で、カフェインやアルギニンなどといった成分が濃いものだ)に初めて手を出した。エナジードリンクはときどき買う程度の自分としては、これだけの分量にカフェインが150mg入っているものはおそらく初めてのことだ。今までなんとなく忌避していたのだが、味としては大きい缶のものと大差なかった。そして今日も買った。 ところで私はフリーシュガーの摂取量をそれなりに意識している。WHOの推奨するところではフリーシュガーで摂取するエネルギーは一日の総摂取エネルギーの5%未満に抑えるべきとのことであり、これは砂糖およそ25gに相当する。モンスターエナジーM3の成分表示を見る限りでは1本あたり糖質は17gのようだ。定番の355ml缶では糖質は1本あたり40g以上(公式サイトで成分を確認することができなかったため第三者サイトの情報であることをお詫びする)だというから、糖分は摂りたくないがカフェインが摂りたい人にはM3は良いのだろう。ほかに清涼飲料水を飲んだりしなければ今日のフリーシュガー摂取量も25g以内にはなるだろう、上出来だ。 いや待てよ・・・・・・??? 今朝、朝のダルさとスタンプ欲に負けて自販機でリアルゴールドを買っていたよな??? そしてコカ・コーラのサイトでリアルゴールドの成分を確認する。100mlあたり糖質14g、内容量190ml・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 糖尿病にならないように気をつけようと思った。 それ以前に、今日はちゃんと寝付いて...

長いお別れ

 レイモンド・チャンドラー。 清水俊二訳。 そろそろハードボイルドに磨きをかけようと古典的なハードボイルド小説に手を出した。そして自分はハードボイルドにはなり得ないと悟った。 まず登場人物の名前を憶えられない。海外文学を読むときにありがちなことだが、カタカナで記され、音としてもあまり馴染みのない名前にはなかなか慣れない。まあ国内作家の作品でも登場人物の名前が日本風でない(こういう先入観というか固定観念が入った言い方にケチがつく時代ではありますが。)ときはそれがすんなり入ってこない。こんなやつがハードボイルドになれるわけがないのだ。 ストーリーについてはあまり言及する点がない。読んでいて「ああ、確かに昔の探偵小説だな」と思ったくらいだ。ただ、ストーリーと"Long Good Bye"というタイトルとが頭の中で符号したとき、妙なスッキリ感というかそういった類の味わいがあった。 あとこれは訳の問題なのだが、たまにおそらく助詞が抜けているであろう文があって不満だった。こんな些細なことに不満を抱くやつがハードボイルドになれるわけがないのだ。

少年の日の思い出

 古い家に住んでいた。私が小学生の当時すでに築90年近かったと聞いている。母屋と離れがあって、母屋がもともとL字の形をしていた。そこに短い廊下で離れをつなげたものだから、全体としてはコの字に近い形をしていた。コの字の内側は庭になっていた。コの字の家を設計するとき、誰だってそうするものだ。"コ"の辺がない部分は生け垣になっていた。つまり、家と生け垣に囲まれた庭があった。 庭にはザクロの木があった。椿があった。躑躅があった。松があった。サルスベリがあった。かつて池だったらしい窪みがあった(大雨が降って水がたまると確かにそこはかつて池であったろうと思われた)。 私はよく庭に面した縁側でごろ寝をしていた。説明するまでもないだろうが夏は蝉の声が聞こえた。たまに吹く風は木々の葉をかさかさと揺らした。ついでに風鈴も揺れた。そうして退屈な夏の日の午後が過ぎるのを待った。寝返りをうてば床板は軋んだ。 そしていつの間にか眠っていた。目を覚まさせたのはヒグラシの声だ。当時からヒグラシの声を聞くと胸がざわついた。そのざわつきの正体たる感情を説明する言葉を持たなかった(し、今でもやはりそれは説明できないものだ)。私が眠っている間に、友だちの家に遊びに行っていた兄が帰ってきていた。外はまだ明るい。兄は私をキャッチボールに誘った。私はよく兄のボールを捕り損ねて後ろへ逸らした。少し暗くなってきたころ、逸らしたボールをとりにかけ寄った木の根元で巣から出てきた蝉の幼虫を見つけた。私はそれを優しく拾い上げて、家に持ち帰る。庭の木の根元に載せる。 夕食のメインディッシュは祖父が獲ってきたサザエの壺焼きだった。妹はサザエの"しっぽ"の部分が嫌いだと言って兄に食べさせた。私はところてんを啜り、たれが喉に入ってむせた。スイカを食べて夕食はお終いだ。蝉のもとへ向かう。 すでに半身が殻から抜けている。私は何かを思い出して父からデジタルカメラを借りる。2GBのSDカードが入っていて、有効画素数は200万。様々な角度から蝉を撮る。兄も、私も、妹もそれに釘付けになる。蝉の羽化は時間がかかる。いくら興味があっても動きが少ないと退屈する。そしてまた眠ってしまう。 目が覚めると蝉はすでに殻を脱いでしまって翅を乾かしている。やってしまった!!と私は思う。母は写真撮っておいたよ、と言って私に...

Googleスプレッドシートでカレンダー兼ふりかえりシートをつくる

イメージ
 (最近はダレてきてしまっているが)一日一日を振り返り、点数をつけるというキショ行為をしている。点数を縦軸に、日付を横軸にしてグラフを描いたりしても面白いよなと思っていたので記録にはGoogleスプレッドシートを使っている。シートの雛形を作ってしまえばそれを複製するだけなのだが、日付と曜日を手入力で埋めるのは面倒なので Google Apps Scipt を使ってみた。 自分はプログラミング?を生業にも趣味にもしてないので個人ブログなどを参考にしながらつぎはぎのようにつくったからプログラミングを生業や趣味にしている人からすれば見苦しいかもしれないが、ほんの少しでも誰かの役に立つかもしれないのでここに記しておく。 function insertSheet6Sample() { var today = new Date(); var day = today.getDate(); if(day == 15){ function getDate(){ var today = new Date(); today.setMonth(today.getMonth() + 1); // 現在の日時を取得 var out = Utilities.formatDate(today, "JST", "YYYYMM"); // 現在の日時から、月を算出 return out; // yymmという形の文字列を戻り値として返す } var today = new Date(); var day = today.getDate(); if(day = 15) var MyNewSheet = getDate(); var plusone = new Date(); plusone.setMonth(plusone.getMonth() + 1); var ss = SpreadsheetApp.getActiveSpreadsheet(); var templateSheet = ss.getSheetByName('master'); ss.insertSheet(MyNewSheet, {template: templateSheet}); var out1 = Util...

温故知新

小学校を卒業するとき、中学校を卒業するとき、高校を卒業するとき、必ずと言っていいほど式辞では「目まぐるしく移り変わる現代社会において君たちは~」だとか「この激動の時代にあって君たちに求められるのは~」といった話をされた。大学の入学式でもそういった話はあっただろう。 確かに、21世紀に入ってグローバル化は大きく進展したのだろう。格安航空会社によって少なくとも隣国の韓国や台湾はかなり身近な場所となった。東南アジアにもかなり安く行ける。外国語を勉強する機会もツールも増えた。海外の文化に触れる機会も格段に多くなっているに違いない。遠隔地の人とコミュニケーションをとるのもかなり簡単になった。携帯電話の普及、光回線インターネットの普及、そしてスマートフォン。1990年代からすれば想像もできなかったような変わりようで、それを10年や20年で成し遂げたのは確かに驚嘆に値する。 一方でこれは有名な話であるが、家庭用コンピュータの登場からおよそ10年の平成元年においてワープロ専用機のメーカーは概ね「ワープロは文章を書く機械として特化されているからパソコンに取り込まれずに残る」と考えていたという( https://dime.jp/genre/644604/ )。今思えば完全に的はずれな予想だが、我々はこれを笑うことはできない。こういったエピソードから得られる教訓は「昔の人は馬鹿だった」ではなく「そもそも我々は先を見通すのが下手」である。そんな私たちにとって、世界というのは 常に 「激動の時代」に思われるに違いない。 1945年の焼け野原となった東京で、20年後にオリンピックが開催されると考えることができた人がどれだけいただろうか。石油危機を、冷戦の終結を、ソ連の解体を10年20年前から予想していた人はどれだけいるだろうか。人類が農耕ばかり行っていた時代はいざしらず、国家・産業・科学が明確に打ち立てられて以降は世界は目まぐるしく変わり続けているに違いない。今だけが特別な時代というわけがない。 かなり脇道に逸れた。 「この激動の時代において君たちに求められるのは~」と語る校長やPTA会長は時代に適応する能力を私たちに求めていたのではなく、何かを求めていたとすれば「時代に適応する能力が必要という議論そのもの」だ。もしかするとそれを話すだけでインテリを気取れる、児童生徒を教育したと自己満足できる...